月記 バックナンバー


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新年早々(笑)  2006/1/2 Mon.
閏秒。

地球の自転が微妙にズレると出現する「60秒」
0秒から59秒までのはずが、1秒プラスして調整するんだとか。

もしも、占星術でホロスコープ作成を突き詰めて、突き詰めて、究極までいくと、こういう1秒も考えなければいけないんだろう。だって、1秒分、アセンが変わってしまう。閏秒まで対応した(というか、これ対応しようがあるんだろうか?)ホロスコープ作成ソフトは、ないと思う。

その1秒を「関係ないよ」って言ってしまって、いいんだろうか?


実は、コンピュータに興味を持ったのは、ホロスコープを自動で作るソフトを作ってみたかったから。実際、プログラム言語の習得は早かった。高校時代はBasic(VBじゃない、もっと昔の…)で、クラスでもトップだったし、大学時代も一応はCOBOLの授業があって、これも講師が説明下手だったので「わかる奴が教える」状態になり、教える側のひとりだった。

でも、愕然とする。「なんだ、StarGazerという素晴らしいソフトがあるじゃんか!」

その後も、まぁ、いろいろ。Cはほとんどだめだなぁ。Javaはまったくわからない。とりあえず、Perlはそれなり。マナーが悪いというか、書いてあることくらい読めよと言いたくなる状態だったので今は非公開(友達限定公開)にしてしまったけれど、Astrologer.JPにあったホロスコープ作成のページはPerlで作ったもの。
ホロスコープそのものはAstrologで出力して、そのデータを読み込んで、ディグニティ等の計算をする。エッセンシャル、アクシデンタル、パーツ(バグあるけど…(笑))、恒星、アワールーラーなどなど。とはいえ、最初のデータ入力などの部分はKDさんから頂いた。いつの間にか、5000行越えちゃって、もはやメンテは…(苦笑)


占星術をコンピュータでできるか。
それは昔から考えている。

現実的には無理だとしても、もしも、全ての条件を判断するプログラムを組んだら…
例えば太陽。どのサイン、どの度数にあって、他の星がどういう位置関係で、どういうアスペクトを持っていて…。それら全てをひとつずつ、IFの条件分岐で判断し(CASEでもいいけど…、どうせ内部的にはアセンブラになれば同じだろうから)、答えを導く。
人間がチェックする全ての項目について、全て、プログラム化する。

論理的には可能なはずだ。
だって、星は誰が見ても変わらないはずだから。例えば、2006年1月1日0時00分の東京の空は、誰が作っても同じホロスコープになるはず。そうであれば、そこから導かれる答えは、たったひとつのはず。単純に、読み方が違うとか、読み手の能力に左右される部分はあるとしても、ほんとうは、ひとつしかないはず。
その「ひとつ」にするために、コンピュータを使えないか、と考えた。

(ここでは、心理といわれる立場に代表される、「読む人による違い」が起こること自体がおかしい、と思っている。ただし、穂渡桂樹の「心」は、その心理の言うところの、集合的無意識とか、そういったものがもっとも占星術に納得できる説明をしてくれるとも思っている。)


もし、その膨大なプログラムが作れたら…


でも、人が「結果」として受け取るためには、言葉が必要だ。
人はコンピュータではないから、同じ言葉でも、受け止める人によって違ってくる。じゃぁ、それも当然、加味しよう。星座によって(星によって)その人が、その言葉をどう受け止めるかも考慮して、言葉を使おう。
ベタに星座占いチックに言えば、「難しいですね」と言われた時、否定的に受け止める星座と、言葉を濁していると受け止める星座と、難しいけど可能性はあるんだと肯定的に受け止める星座がいるとしたら、それも考慮してその言葉を使うプログラムを組もう。
そこまではいいとして、じゃぁ、それ以上、「その時の気分によって受け取る意味が変わってしまう」なんて部分まで、考えられるんだろうか?

やっぱり、答えは「無理」なんじゃないかと思えてくる。

結局、ホロスコープの「正確性」は、どこまで必要なんだろう?
(もちろん、StarGazerの正確性や、それを求める姿勢は、素直に尊敬することだと思っている。)


それはとても大切な「プロセス」であって、もっと求められるものは、その先にあるんじゃないかと。


イチロー選手が4割に達するようなバッターだって、空振りもフライもある。
武豊騎手が驚異的な記録を作り続け、競馬では「ありえない」と言われるほどの勝率でも、負けるレースはたくさんある。

(ともに「魚座」というのがなんとも…)

3割のバッターと、4割のバッターでは、1/10しか違わない。
プロとアマチュアとの差はどれくらいなんだろう?

違いはある。たとえ小さくても、その差を詰めることがどれほど大変なことかも、わかる。

新年早々、そんなことを考えていた。


わくわく  2006/1/27 Fri.
忙しいと言い出したら終わりというか、放置する理由に忙しいというのは違うよなと思いつつ。

Astrologer.JP放置中。月記くらい書けよと、自分でも思いつつ、放置。

占星術に情熱が無くなったわけではないけれど、確かに、真剣に取り組む時間がないというのは事実。今が学生時代だったら違ったのかな、と、考えても意味はないけれど。


多少幅を広く取って、「同年代Astrologer」の多くの人が占星術を気にしつつも、離れてしまっているように思う。横目で見つつも、正面で捉えられない、みたいに。


占星術って、なんか、難しくなっちゃったよなぁ。昔を懐かしんで言うなら、もっと怪しげでそういう部分に「神秘」があったのになぁ。これはタロットもそうかな。直接タロットとは関係ないけれど、レヴィの『高等魔術の教理と祭儀』なんて、おもしろかったものなぁ。ワクワクした。教理編しか出ていなくて、祭儀編が待ち遠しかったものなー。

今じゃ、『鋼の錬金術師』のほうがワクワクするよ。

「古典」と言われる占星術に出会った時も、もしかしたら、ここに求めていたものがあるんじゃないかとワクワクしたよ。でも、ちょっと違って、その上に、なんかすごく難しい。占星術全部が、すごく難しくなってしまった。

先に進めばひとつ門が開いて、また遠い道のりと次の門が見える。そういうのではなくて。昔は、ひとつ門を開くと、そこが草原の間だったり、次は、星空の間だったり、なんか「おー、すげぇ」とか「こんなとこあるんだ」とか「次はなんだろ」なんて感じだった。最近は、門を開くと、そこは岩だらけの荒野? 湿地帯? 氷の大地? スニーカーしか持っていない自分にはちょっと辛くなってしまったのかも。景色を見て歩けない、というか。

いやだなぁ、自分の限界を感じてしまうのって…


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Akiary v.0.42