月記 バックナンバー


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木星が蟹座から出ていく  2002/6/16 Sun.
ここ数年、本当に、星についてあれこれ感じるようになった。
あれこれ考えるようになったら、感じるようになった。

そろそろ、木星が蟹座から出ていく。
なにか、「木星蟹座1年」の総決算があちこちで行われているような気もする。いやいや、自分自身もそれをすべきなのかな? よし、ちと、がんばろう。実際問題、そんな感じ。今は自分の周囲で色々動き出している。それも「これから始めるぞ」っていうよりは、「とりあえず、ここが決算」という感じで。


8月の動き  2002/6/22 Sat.
時間がなくて書けない、読めない。
肩、腕、指(特に中指)が痛くて、キーボードを叩くのも苦痛かも…


すごい、8月5日の夜に月が蟹座入り。その後、「メジャーなアスペクトを取らないまま」8月8日1時に獅子座入り。まるまる1サイン、ボイド。
なにが起こるんだろう? 世の中、ぼけぼけ? とはいえ、蟹座って、月の居心地がいい場所だろー。それほど大したことはないか。
でも、この期間、月だけは大したことがなくても、ほかの星の動きも激しい。気分良くボケボケしているうちに、「いつのまにか世の中変わっていた(決められていた)」なんてことになったら、そいつは、怖い。とはいえ、その2つも、水星がもっとも力を発揮する乙女座に入り、金星も本来の天秤座に入る。偶然にも、こちらもいい状態になる。

もちろん、注意深く観察はしたいけれど、不安感は少ない。
月が蟹座に入る時の図も、悪い印象はない。水星が乙女座入りする図は、ちと、きになるけれど、金星のほうは、まいっかという感じだ。


占星術をあれこれ思考してみると、「サインが変わる」ことは、何らかのエネルギーに変動があることと思えてくる。29度を壁と表現することもあるし、3度くらいまでを、若いと表現することもある。
プログレスの動きを追っていった時、サインの境目でその人が悩んだり、大きく変化する出来事があったり、非常にベタベタだけど金星や火星だったら異性に対する見方・考え方が変わったり。これが偶然や、思いこみでないと断言できるものはないけれど、そこに壁があるようには感じる。
新しいサインに入ってから、その「幼い度数」のうちは、「新しい自分」が安定せず、本領発揮は「幼い度数」を抜けたあたりに思われる。

太陽が29度の生まれって、色々な意味で(人によって意味は違うと思う)タフでパワーがあるように感じるのは「生まれてまもなく、ひとつ壁を昇ってしまうから」なんだろうか?


8月23日も、太陽が乙女座入りだけど、その半日前に月が魚座入り。つまり、おポジションの緊張状態で、サインを変える。こっちは、太陽が自分の獅子座を出ていくわけで、大荒れ、荒れ荒れ、大変だ。とはいえ、太陽が乙女座に入る頃、月はもう4度くらいになっている。

冗談ともかく、占星術を真に受けるなら(いやまぁ、現実世界を生きる自分としては、真に受けて生活はしていないつもりだけど、真に受けなければこんなに楽しいとも思っていないし、真に受けずにやっていたら失礼だとは思う)太陽はもっとも輝いていた「夏」のパワーを失って、来るべき「秋」に備える変遷の期間に入る。何かが変わる準備段階に入る。それも「本来の輝きを失って」である。
もっとも人の感覚に近い月は、幻想的な魚座に。麻酔を打たれている状態で、太陽がパワーを失うとしたら、そこから広がるイメージは、マズいことが決定される状態。太陽は、たぶん、8ハウスだろうし、水星も8ハウスで土星からアフリクトされた状態で…。マレフィックな土星(アセンダントのロード)は6室で点数も持っているし、火星(MCのロード)はアングルだけど点数有り。この2つ、セクスタイル。いいんだか、悪いんだか、これも見てみたいところ。
でもさー、国会あたりで、なにか血なまぐさいことや、財産を圧迫するようなことが、どさくさ紛れで決められるなんてことがあったら、これで説明ついちゃわんかな?
多くの人様の命に関わるような、おっかないことがあっても、説明ついちゃいそうだけど願望を込めてそういうのは言いたくなかったりもする。

だからって、今さら、何が出来るってのも、大きな問題。
結局、最初の選挙でもやる段階から、日頃から、しっかりしとかないといけないってことで、そんなのは占星術以前の話で。ちなみに、私は参政権を持って以来、投票を欠かしたことはありません。勝ち馬投票も参加権(? 未成年でなく、かつ、学生でなくなる)を持って以来、ほとんど欠かしてないけど。(笑)

やっぱ、俗的なことのほうがいいや。(苦笑)


ホラリー研究会に参加してきた  2002/6/30 Sun.
28日に、 いけだ笑みさ ん ( http://www.kuratani.net/emi/ ) のホラリー研究会のキックオフ(?)があった。

料理がうまかったとか、蠍座人間(万全の用意をぬかりなくしたい)と、蟹座人間(なんとかなるさ)の性格の違いがおもしろかったとか、そんなのもある。

「酒を飲む人間の意見」と言われるかも知れないけれど、同じ楽しみを持つ人たちが集まってワイワイやれるのは何より楽しい。

Astrologerに限らず、楽しくやれる人々を集めるのは難しい。それが Astrologer となると、なお、難しい。

中には「唯一無二」の占星術を掲げる(信じる)人もいる。それは個人の考え方だから、他人がとやかく言えることだとは思わないし、それに向かって日々精進する姿を批判など出来るわけがない。そういった人の中には、他人が「その素晴らしい占星術をやっていない」ことに抗議するというか、改宗を迫る人がいたりもする。
そこまでいかなくても、占星術に対するスタンスや、占星術を含めた「生き方や考え方」や、それこそ象徴に対する解釈などとなってくれば、ほとんどの人が「人それぞれ」だ。

占い師が集まったら喧嘩が始まるだけ、ってのは、けっこう昔からの持論。逆に言うと、それくらい「自分はこう思う」というものがないとね。


その「唯一無二」の占星術があるかという点も、とても難しいことだと思う。それは、おいといて考えるなら、占星術の世界で「私はこう思う」という論争を始めたら、喧嘩になることは多々あっても、統一見解にたどり着くことはほとんどない。それぞれの人が、それぞれの信じるモノや経験や感覚で主張しているのだから。


なんのために占星術をやっているのか? これも、人それぞれ。
自分は「楽しいからやっている」と思っている。技術や知識はとても大切なもので、そういった意味での「勉強会」は有意義だと思う。真剣に勉強しようとしているのに、ふざけるな、酒が入っている場で勉強なんて言語道断、ヨッパライのヨタ話が役に立つなんてのもおかしい。そう考える人もいるだろう。酒が入ったっていいじゃん、楽しくやることが大切なんだからと考える人もいる。(これは酒飲みかどうかって点にも依存する、かな。)そのあたりは、目的意識と、考え方によると思う。


今回、ホラリー研究会のスタートの前に、ワイワイやれたのは、とても意味があったと思う。完全ではないけれど、ある程度、「どんな人なのか」を知るきっかけになっただろうから。
ネットは、いい意味でも、悪い意味でも「希薄な関係」だと思う。相手が見えないし、相手に見えなくて済む、から。所詮、そんな希薄な関係なのに、ネットの先にいる相手に文句を言ってみたりする意味があるんだろうか、ネットの先が「自分を意識してる」なんて考えることの不思議(これは、自分が、ネットを通じてあまりにたくさんの人と接しているからそう思えるのだろうか?)もあったりする。そんな希薄な関係で、積極的な行動と言われてもピンとこないし、自分が飛び出す怖さもある。


3人の酒飲みAstrologersは、場所を変えて3時まで騒いでいたんだけど(爆)、それもとっても楽しかった。がはははは。ある意味、これは予定調和。



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Akiary v.0.42