月記 バックナンバー


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astrolog 5.41G  2003/6/2 Mon.
なぜ、ダウンロードしておきながら、5.41 でコンパイルしちゃったんだろう?

5.41G でのコンパイル終了。だからって、どうってことじゃないけど。
ちょっと出力テキストが変わっちゃうから、プログラムに手を加えないと。

実は、外惑星を出力しないモードも作ろうかと思っている。
Kuniさん講座を聴いて、きっぱりすっぱり、外惑星を出さないってモードもいいかな、と。


チャート作成の携帯対応  2003/6/12 Thu.
単に、星の位置を文字で出すだけなら何ら難しくないし、携帯からも「その瞬間の位置」がわかるパターンと、指定した年月日がわかるパターンと、作ろうかなぁ。
(まだ先になるけれど。)

Astrolog 5.41G 対応もしたいし。



満月  2003/6/14 Sat.
体調最悪…。脱水症状かも。胃も痛くて潰瘍っぽい。
でも、熱はないし、頭痛はたまにする程度。

ふと外に出たら(胃が痛いから牛乳とヨーグルトを買いに…)綺麗な丸い月。月の光に何時間あたっていても日焼け(月焼け)することはないらしい。
でも、数百年前は街灯なんてなかったわけで、夜の月の光は重要だったというのもわかる気がした。今読んでいる本によると、「お祭り」は満月の日だったんだとか。新月じゃ暗くてどこに誰がいるかもわからない。(笑)

太陽と月が、いかに特殊なものであるか。

このかなり体調悪いのは、なぜか、ラーメンを食べたあとに当たる…。当たるっていうか、今年の春前にラーメンを食べたら、その後気持ち悪くて数日苦しんだ。実は今回もカップとは言え、ラーメンを食べたあとから。(苦笑)
それと、前回風邪をひいて大変だったのは、この前の満月だったかと。

このところ、面倒くさいことや大変なことが続出する。自分で蠍座運気アップとか書いた気もするけれど、これで大丈夫なんか?(笑)


周転円  2003/6/16 Mon.
某掲示板で話題にしたから、ちょっと調べている。

プトレマイオスなどの天動説の時代、地球が中心にあって、その周りにそれぞれの惑星がバームクーヘン(たまねぎ)状にエリアを持って運行しているという考えがあった。
水星天とか木星天とか、天ぷら屋みたいだけど、これってもっと宗教的な意味でも「それぞれの世界がある」かのように階層上の宇宙がある、と。

地球を中心に円軌道を描いているものの、逆行問題がある。(見かけの光度の違いもある。)それを解決すべく、その円軌道(導円)上を中心とした小さい円(周転円)があって、その組み合わせで動くから逆行に見えたりもするという話。
実は、以前、「それじゃぁ実際の動きと一致しないハズだ」とか言っちゃったことがあるんだけど、どうやら、それは間違いで、その周転円のシステムで考えれば「見かけ上の動き」として惑星の運行を結構正確に把握・予測できるみたいだ。
(このあたり、『宇宙像の変遷と人間』 金子務著 日本放送出版協会 に詳しい)
また、アリストテレスの時代では、月、金星、水星、太陽、火星、木星、土星となっている。(『宇宙論のあゆみ』 J.シャロン著 中山茂訳 平凡社 これも多分絶版)


その時代の宇宙観をちょっと調べて見ようと思った。
とりあえず『アルマゲスト』 藪内清訳 恒星社 を見ると、今さらながら、ちょっと驚いた記述が。古代の宇宙観で、地球から近い順に、月、水星、金星、太陽、火星、木星、土星と並べられたのは、「太陽面を水星と金星は通過することがある」から、太陽より手前にある、と考えたんだという部分。どうやって観測したんだろう? 太陽面通過が見えるとも思えず、投影すればわかるんだろうか? まぁ、どちらにしても、すごいことだと思った。(それだけバカにしていたのかも知れない。) 日本語訳の問題か、それ以前の訳等の問題変わらないけれど、明確に「金星より水星が地球に近い」とは書いていない。けれど、表等を見る限り、水星を地球の近くに持ってきていると思われる。
この惑星の配列については、実は、そのテキストの年代特定に使えるくらいはっきりした変遷があるらしい。紀元前300年頃では木星・金星・水星・土星・火星という並びだったのだとか。( 『古代の精密化学』 Oノイゲバウアー著 矢野道雄・斉藤潔訳 恒星社厚生格 この本は絶版。)ほんとに「カルデアン」タームなのか?(笑) でもまぁ、カルデア人=占星術師みたいな名称でもあったと言うから。つまり、インド人=レインボーマン、中国人=ラーメンマンというようなものだ。(ここ冗談)
さらに知りたければ、『天の科学史』 中山茂著 朝日選書にも載っている。その運行速度から火星・木星・土星の順は決まるけれど、太陽・水星・金星は(平均すると)同じ速度になってしまうから決まらない。プラトンは、最初、明るい順で太陽を近くしたけれど、後に太陽こそが全天球の支配者だから真ん中でないといけいないというので、月・水星・金星・太陽・火星・木星・土星と、真ん中に置いたらしい。(それだったら地動説を思いついてもイイと思うかも知れないけど、これこそが、宇宙観なんだと思う。)ちなみに、厳密に言うと、水星ってびみょーに太陽に近づいて行っているからわからない程度、軌道が小さくなってるなんてのは、現代にならないと観測できないこと。

さて、最初の本題だった周転円の大きさをどれくらいに考えているかという問題。つまり、他の惑星軌道に入り込むことがないのかという部分。これは、『アルマゲスト』では「視差が使えないから(判断できないから)惑星までの距離がわからない」という旨の記述がある。当時の世界、観測技術では、そうだったんだろう。
だから、記述に角度はあっても、距離はないわけで、角度で表せばそれなりに相対的な距離は出てくる、ということか。でも、先述の『宇宙像の変遷と人間』に書かれたプトレマイオスの宇宙体系という図(導円と周転円がかかれたもの)を見ると、他の惑星を位置関係が変わるような図にはなっていない。周転円の大きさをそれぞれ変えているところをみると実際に、こういう宇宙観になるんだと思うものの、それぞれの角度からの検証をしていないから断言は出来ないけれど…。いや、いいと思うんだよなぁ、この考えで。
でも、プトレマイオスの『アルマゲスト』以降に出た著書には、土星天と恒星天を分けているところがどの距離かを書いている。値は全然違うみたいだけれど。(『宇宙を測る』 キティー・ファーガソン著 加藤賢一・吉本敬子訳 講談社) その本では、正確にどこに書いてあったとはしていないものの、アリストテレスから受け継いだ思想として、宇宙空間はそれぞれの天球に含まれ、なにもない世界はなく、それぞれの天球(さっきの水星天と金星天や、火星天と木星天)はお互いが接している(から相手に浸食することはないはず)という記述がある。よし、答えが見つかった。

ちなみに、西洋ではないものの、『暦と占いの科学』 永田久著 新潮選書には、「億劫(おっくう)」とか「金輪際(こんりんざい)」とか「有頂天(うちょうてん)」といった言葉が、どういう宇宙観で語られたどれくらいの距離を表すものなのかが書かれていておもしろい。当時でも、これくらいのスケールの認識はあったようで、『1つ、2つ、いっぱい』なんて世界ではなかった。
それは紀元前250年頃、エラトステネスがアレキサンドリアとシエネの間が800kmであり、そこに同じ夏至の日に立てた棒の影の長さ(ヒントはシエネに夏至の日だけ底に影が出来ない井戸があるという話を聞いて)をはかり、その違いから太陽の視差を考慮して、誤差0.2%で計算したと言われる。これは高校の地学の時間にも習ったし、たいていの本に載っているくらいで、先述の『宇宙を測る』や、『宇宙と星 謎の根元を遡る』 堀源一郎著 大和書房』にも詳しく載っている。
その正確さについては、使ったスタジアという単位はどうなんだとか、実際、「運良く正確な値になった」かもしれない余地はあるらしいけれど、考え方としては王道で、出てきた答えも「当時とすれば」立派だったという評価が一般的。いや、これ、すごく疑問なんだけれど、どこまで正確だったら許容範囲で、当時をどれくらいの水準だったかと考えるかにもよると思う。やたらと古代に正確な観測記録があったと主張する人がいるけれど、「その時代にしてみれば」なのか「今から比べても」では話が全然違うし、さっきの「1つ、2つ、それ以上はいっぱい」なんて感覚から比べて言われてもちょっとどうかと。なにもエラトステネスのやったことや計算結果がいい加減だったという話ではなくて、なんでもかんでも「古代には素晴らしい英知があった」という方向で話をされるのにも抵抗があるなぁ、ということ。どちらにしろ、紀元前の時代には、海の果ては滝になっているとか、亀に乗っているのが大地だとか、そんな発想はなく「地球は丸い」だったし、エラトステネスもシエネが「回帰線上にある」と理解したからこそ、これができたわけだし。(視差が大きいという意味では、満月でやってみればもっと良かったような…。)そして、「地球は丸い」という発想だから、正確な値は求められるはずもなかったとも言える。だって地球は球そのものではないから。これは山があるとか海があるってオチではなくて、赤道をぐるっと測る場合と、北極と南極を通ってぐるっと測る場合で、大きさが違ってしまう。主に自転による遠心力で赤道方向がふくれているから。

ちなみに、エラトステネスと同時代に生きていたらしいアリスタルコスが太陽や月までの距離を計算したというけれど、それはかなり間違えているともいわれる。なにやら、読む本によってちょっと書いてあることが違ったりする。(これこそが、主観的な部分だと思う。)
太陽までの距離を小さく見積もっていたと言う考えて「小さい宇宙を想定していた」のかもしれないけれど、恒星に対しての視差がない(実際に、現代でも視差が計れる星は数少ない)ことなどから、土星天の先の恒星天は無限の彼方と思っていたようで、これからすると宇宙の果てしない広さという感覚はあったんだろう。(カバラのアイン・とかアイン・ソフ・アウルなんて、ある意味、宇宙観も合わせている話だろうし。)


なんか、1冊、見落としている本があるな。なんだっけ。どこに置いたか見つからない。
ま、いいや。

古代の宇宙観を知らなきゃダメとも思わないし、知っていればそれに越したことはないし。日本語の本だってバカにしたもんじゃないなぁ。(笑)

占星術の生まれた時代は、素晴らしい英知があったかどうかはわからない。でも、あらためて調べてみると驚くような再発見があって楽しい。


選べるっていいことだ  2003/6/19 Thu.
すこし余裕ができたので、外惑星を消すオプションを入れてみた。
こういうのは案外、効果があると思う。というのは、「本当に自分にとって必要か」がわかるだろうから。あれば気になる、なければ気にならない。(笑)

そしてPtolemyのtriplicity(mix含む)と、egyptian termの取り込み。
当然、これだけでも、占いの結果は変わりうると言う恐ろしい話。Lillyのテーブルだったらtriplicityで3点獲得していた星が、いきなり、Peregrin になって -5 点になっちゃたりするのだ。

計算というのは面白いもので、知らなくたってコンピュータに任せれば、キレイにやってくれる。バグが含まれる可能性もゼロではないけれど(確かにバグもあったけど、この計算ページをバグだらけで信用できないように言われるのは、ちとシャクにさわる。一応はデバッグもしてるんだし、新規追加機能ならまだしも、そこまでひどくねぇよ)コンピュータは計算に飽きたり、勘違いしたり、ケアレスミスをしない。こんな便利なモノを使わない手はない。
計算ページにある項目について、説明を求められたところで「よくわからん」と答えるものもある。計算って言うのは、「どうやれば求められるか」がわかっていればよく、あとはそれをコンピュータがわかってくれるプログラムに組み立てるだけ。
面白いよねぇ。だって、チャート上に星などが示しているたくさんの事柄を、人間がわかるように言葉にするのがAstrologerなわけでしょう? 使っている頭は同じような部分かも知れない。

日本のセミプロ・アマチュアなAstrologerにコンピュータ関係で働く人や、コンピュータ業界に関わっている人が多いのもわかる気がする。

別のテーブルが使えるようになって、選択肢が増えた。試したい人はどちらが有効か試してみればいいし、別に試さずとも自分が使いたいほうを使い続ける人はそれでいいと思う。占星術って、たったひとつの方法があって、誰がやっても同じ答えが導けたらいいのに。そうしたら膨大でもプログラムを組める。占い師はいらなくなっちゃうけどね。(笑)


で、実は、まだ1年とかかかるかもしれないけれど、小惑星が表示されるページも作ろうかな、なんて思ってたりするんだよなー。(笑)
ある意味で「どの占星術にも肩入れする気はない」わけで。古典がすばらしいことと、今もっとも興味があることは事実だから、それはそれでいいんだけれど、そうだとするならなおさら「いろいろやってみる」ほうがいいはず。


チャート作成ページ  2003/6/28 Sat.
機能は凍結しようと思いつつも、タイムゾーンも入れようかと。
つまり海外のチャートも出しやすくする。でも、いかんせん、時間がないから、当分は現状のまま。一応、適当に選べばその値でチャートを作ってくれるけれど、動作保証外。


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Akiary v.0.42