月記 バックナンバー


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「占星術概論」 by Kuni. Kawachi 校正中  2004/2/6 Fri.
校正と言っても、占星術に関する部分をチェックできるわけでもなく…

読みにくい文章や、誤解を与えそうな部分、あとは、日本語的な間違えとか誤字・脱字まわりをチェック中です。
一度、全部を読んで、Kuniさんが修正後に再度、細かい部分を見てます。

この本、いいですよ。お勧めします。
Kuniさんと、私では占星術に対する考え方などで意見が違う部分もあります。チェックとか校正と言っても、それは Kuni さんのスタイルをできるだけ損なわないようにと考えているつもりです。(意見はもちろん、文体も。)
最初のプロトタイプの時は、極めてモダン批判の色が濃かったのです。それは Kuni さんのスタイルとしてアリとは思いましたが、「モダンの批判をしなくても古典は自立してやっていけるんじゃないですか?」と意見をやりとりしたところ、かなりスッキリ、わかりやすくなった(受け入れやすくなった)ように思えます。
初心者でもOKということはなくて、やっぱり、多少の占星術の知識を持っている人が読まないと困るでしょうが、これが最初の1冊でもない限り、まぁ、大丈夫だと思います。逆に言ってしまえば、内容は濃いです。

約200ページ。読むのは大変でした。コメントするのも大変でした。
そして、再度、文章を注意しながら読んでコメントしているので、かなり大変です。
でも、興味があることなので、読めてしまいます。

これは大きな一歩だと思うのです。たぶん、数十年後の人が見たら喜びと感動があると思います。私たちが「えー、貴布根康吉って、あの時代でこんな本を作っていたのか!」と感じたのと同じように。
確かに、鏡さんが『占星綺想』を書いているけれど、古典の教科書的な本としてはこれが初めてのはずです。

たくさんの人に読んで欲しい。
ある意味、この不景気で「本が出ない」時代に、情熱さえあれば、これだけのものを書き上げ、自費出版だとしても自分で印刷し、製本し、発送すれば、「本を売る」ということができるということを示した点でも、意義は深いと思います。

Kuni さんには、(原価のこともあるけれど)残る物だからできるだけいい紙を使って印刷して欲しいとお願いしています。


『占星術概論』 by Kuni. Kawachi その2  2004/2/11 Wed.
(あいかわらず、日によってですます調だったり、そうでなかったり…)


占星術に限らず「占い」というものは、「当たればいい」ものだと思う。

「占い」が、クライアント(それが自分である場合もある)の問いに答える以上、当たらなければ意味がない。裏を返せば、当たればなんでもいい。
どんなに、理論、理屈を知っていても、それをこね回すだけで「そんなのどうでもいいから、とにかく、答えはなんなの? どうしたらいいの?」と言われたら、「占い」としての機能は果たさない。

道具もなにも使わず、ビシッと当てる。座っただけで当たる。そんな占い師はすばらしい。


自分がそうなりたいかと言われると、それはノー。
占いは理論、理屈をこね回すのが楽しいからだ。占いの魅力は「当たった時」の爽快感と同時に、自分の知らないこと、不思議なこと、そういったものを見ていく課程にもある。クライアントが「なんでそういうことになるの? 自分はどうしたらいいの?」と思うのと同じように、占う側としても「その占いの体系的な理解」というのはとても楽しい。

もっとも、それを楽しいと思うかは、人によって違うかもしれない。
自分の飽くなき好奇心を満たし続けてくれるのは、自分にとっては「占い」だし、特に「占星術」はその宝庫だ。


Kuni.さんの『占星術概論』を読む前に、「なんでそこまでカルデアンオーダーにこだわるんだ?」という疑問があった。確かに、そのカルデアンオーダーという『考え方』に興味は尽きない。それが占星術の一番下の部分を支える考えのひとつであることは感じていたから軽視していたつもりはない。
「いや、でも、他にもたくさん大切なことはあるんじゃないの?」と、『こだわりすぎ』のイメージがあった。

でも、一度全部を読んでみて、再度、読み直していくと、(あたりまえだけれど)カルデアンオーダー『だけ』が大切でそれ以外はどうでもいいと言っているわけではないながらも、「あまりに軽視されすぎている」ことに対して「ここから再確認していこう」という訴えのように感じてくる。
アプローチはいろいろあって、hot / cold / dry / moist から語っていくこともできるはず。だから、唯一無二ではない。

本なんて、書き手の考え方が出る。それが強烈に出る(だす必要のある)ものもあれば、書き手の考え方よりも普遍的なことがらにスポットをあてているもの(あてるべきもの)もある。書き手の文体の好き嫌いもある。自分が「知りたいこと」がそこにあるかどうかもある。
だから、「読み手」によって、アタリとハズレが出るのは当然。

『占星術概論』は、100人中100人がアタリとは言ってくれないかもしれないけれど、かなりの人にとって、恩恵があると思う。

古典と言われる占星術というと、「本は外国語のものしかない」という時点で敷居が高い。「あの本にはこう書いてあった、アナタはそれを読んだのか?」と言われるから、よほどの論客でもなければ、「私は古典はわからないから」と一歩引き下がりたくなってしまうだろう。(笑)
どんなものでも、原典に当たることがベストだというのには異論がない。それはあたりまえだ。でも、日本語で読める本が出来てくれれば、嬉しいでしょ? 1冊ですべてがわかるとか、「これを読めば古典はすべておっけー」なんて話じゃないからこそ、その奥の深さに触れていく最初のほうは、日本語のほうがありがたいんだから。


『占星術概論』その3  2004/2/15 Sun.
「占星術概論」は、サンプル版をもらって、それを読んでいる。

(そういう意味では、もう既に本は出来ている。)

電車の中とか、時間があればひたすら…という感じで、もらったサンプルはボロボロ。(笑) 気になったところに線を引いたり書き込みをしたりして、それをWordに「吹き出し」でコメントしてKuni.さんに送るという行程。自分の汚い書き込みもたくさんしてしまった。(笑)

この日記を含めて、作業していることは表にださないようにすべきだと思っていた。
まずなにより、「他人のふんどしで相撲を取る」というか、「虎の威を借りる」ようなことになるのが大嫌いだから。オイシイ話があるから、そこにクビだけつっこんで、『あたかも自分がその<スゴイこと>に関与したかのように見せる』タイプの人が大嫌いだから。
占星術部分に対するコメントなんてできない(していない)のだから、普通に日本語の読解力がある人ならできる作業だ。とはいえ、根性は要求されると思うけれど。根性なんてもんは、愛情なり情熱なりがあれば、なんとでもなる。

まだ実際に配布が始まるまでに時間があるので、既に申し込んでいる人たちが「なにをやっているんだろう?」というのがわからないのでは不安かも知れないし、「ホントに出版されるの? まだ書いてないんじゃない?」なんて思われたら嫌だから、「ちゃんと待っててね」という意味で、日記にも書こうと思った。
もうちょっとで「半分」が見えてくる。

もちろん、自分自身の記憶のためでもある。そして、もし、なんなら、本が届く前に、Kuni.さんのサイトをいろいろ見ておくとか、(モダンとの対比の意味ででも)今ある占星術の本を見ておくと、より、本がおもしろくなると思ったから。ちょっと煽ってる感じ。(笑)


でも、今でも気になっているのは、「鞄持ちが名刺を配る」のはおかしいということ。
裏にいるべき人間が表に出るのはおかしい。本は、誰がどう関与しようと、共同執筆ではないなら、著者本人のもの。それを「読んだ」人があれこれ言うのはいいとしても、「鞄持ち」のくせに、社長の名刺の脇に自分の名刺もおいて回るような行為はよろしくない。

思い入れが強すぎてしまったり、「自分も何かを負担したんだ」と思うようになったら最悪…。好きでやっているだけなんだから。


Making of 占星術概論その4  2004/2/19 Thu.
【誤解されやすい記述を修正】


それなりにモダン的な占星術に対する批判の強い本だけれど、もちろん、モダン批判に終始しているわけではないです。

いわゆる、「普通」と言ったらいいのか、モダンと言ったらいいのか、占星術をやっている人に聞いてみたいです。

「なぜ、天王星、海王星、冥王星を使って占っているのでしょう?」
「あなたが、キロン(カイロン)を使う理由はなんですか?」

なんと答えるのでしょうね?
いや、どれが正解とか、使うことが間違いと、(私は)思いません。
しかし、自分の中での「信念」は欲しいと思うのです。

「星があるんだから、なにか作用していると思う」でもいいし、「周りが使っているから、効果があると思った人たちがいるんでしょ」でもいいし。もちろん、「効果を体感した」でもいいはず。
物理的な力とか、ビーム光線のようなもので与えられる力というのは、まぁないだろうと思っていまいますが、それを信じるだけの信念を持って主張する人がいれば、それはそれでいいと思います。

自分の中で論理矛盾がなければいいと。相手に対する説得力なんて、もともと、「占星術は当たるの?」という根本的なレベルにおいてでさえ、人の「感覚」という曖昧なものが作用してしまって、白も黒もつけがたいんだから。


Kuni.さんが、モダンを批判し、水瓶座の支配星は天王星ではないと強調していて、でも、天王星、海王星、冥王星を占いに使っている…。かつて、それを聞いたときに質問しました。

「それは矛盾ではないですか?」

その答えは、こうでした。

「天王星、海王星、冥王星は恒星のように扱う。」

恒星にしては動きが速いし、惑星と恒星は全然別のものだろ、という気持ちが消えなかったです。どうも納得できない…。しかし、今回は、より、明確にわかりやすい言葉を聞きました。


それに対する答えは、とても筋が通っていて、納得できるものでした。(私自身は、海王星、冥王星の威力を「体感できない」ので、使うかどうかとは別の話として、感心できる理論だったのです。)

カルデアンオーダーの世界では、それぞれの惑星がセパレートコースのように幅を持って並んでいます。セパレートコースに並んで動いている惑星達は、一番手前の月から始まって、一番遠くが土星。
その先に張り付いている「恒星と星座」があるという図式。つまり、惑星のコースが増えるのではなくて、土星より先である恒星たちの中にいる。土星より先に新しいセパレートコースを作らないのだから、そこに入ることになる。だから、「恒星のように扱う」と。(たぶん、この説明でいいはず。間違ってたら、本人からつっこみがくると思うので訂正します…)



いや、これ、全ての人が納得するかは別としても、「そういう考えもあるんだな」という点ではほとんどの人が納得してくれるだろうし、そういう意味での「筋」は通っています。


私は、いつからか、海王星も冥王星もキロンも「ほとんど気にしない」で占うようになりました。アスペクトも、メジャーだけ、オーブは狭く。
これについて、「なんで?」と言われても、「自分が感じないから、その範囲で占って答えを出して、それでいいと思うから」です。でも、Kuni.さんの言っていることにも、かなり魅力を感じています。

結局、こういったものって、自分で使って試してみるしかないのではないか、と。


Making of 占星術概論その5 雑感  2004/2/24 Tue.
「Kuni. さんの本って、そんなに直すところがあるの?」と聞かれました。

あると言えば、あります。

「そこは、直さなければいけないの?」

と、聞かれれば、どうでしょう。直さなくてもいいかな。ソコで止めてないで、さっさと出せと?(笑)

自分も、たかが星座占いとは言え、毎月4万〜5万字書いていれば、『自分で書いたもの』を読み返すのは案外苦痛だとわかります。つまり、自分が知っていることだから、読んでいておもしろくない。
書いている当人は、全部わかっていることだし、自分の中にあるものを言葉にしただけだから、その言葉が出てくる背景も自分の中にある。つまり、なにも知らない人が読んだときには、自分と全く違う背景があるから、正しく伝わるとは限らないわけで。

ここなんですね。Kuni. さんは、説明したいことが明確で、論点も明確。最初から最後まで全てとは言わないけれど、「ついでにこれも説明したい」と枝葉を伸ばすことは少なく、まずしっかりと幹を伸ばそうとしています。(そう感じます。)また、「あれもこれもあるんだ」と意志薄弱にあれこれ説明しようとせずに、自分の世界で話をまとめています。こういう人の文章は、読んでいて読みやすいです。

でも、Kuni. さんにはわかっている、Kuni. さんの中では前提になっている、Kuni. さんが言葉にする時に省略した部分や付け加えすぎた部分、そんなものを「整理する」という感じです。

それほどの才能もなければ専門技術の勉強をしてきたわけでもないけれど、幸いにして書くことには慣れているしちょっとは勉強もした。占星術についてはたいしたことないし、Kuni. さんの「占星術の部分の考察」はできないけれど、言葉を知らないわけではない。そんな自分がいたから、読むのにはちょうど良かったかも。(笑)
表現的な部分で、または、難易度で、「ここ、わかりにくいですよ」という点は指摘できます。

指摘したところ全てを書き換えているかというと、もちろん、そんなことはなく(笑)、ちゃんとKuni. さんのポリシーは曲がることなく生きています。(と、思っている。)

古典に興味のある人には、待望の一冊だと思うわけです。実際、その「期待」には答えられると思います。

Kuni. さんも、情熱がありますよ。読んで、ここがわかりにくいとか、言葉遣いが間違っているとか、この言葉は削除しようとか、こんな感じのほうがわかりやすいんじゃないかとか、だいたい1ページあたりで5〜10個の付箋を貼って(wordの吹き出し)送っています。それが、もう既に100ページを越えてるわけで。普通なら、言われるほうだって、面倒くさくてイヤになっちゃいますよ。それでも納得するまで考えるというのは、なかなかできるこっちゃないと。
いやぁ、さすがに、こっちも、かなりホラリーの勉強になってます。(笑)

5,000円とか10,000円と言えば、多くの人は手が出しづらくなるだろうから、それを考えての設定なんだろうけれど。モノの金額は、売ることを考えて決定されてしまうから。でも、中身を考えたらこの値段はお買い得だと思うなぁ。


外惑星に思うこと  2004/2/25 Wed.
外惑星問題、気にする人が多いみたいですね。
「効くか効かないか」なんて、やってみなきゃわかんないでしょう。

かといって、それを統計的データとして集められると思いますか?
どこで? なにを基準に?

一番簡単なのは、外惑星を使う占い師と使わない占い師で占った答えを見せて、どっちが当たっているかという判断を、たくさんの人にしてもらうことだけれど、それだって、その「占い師の能力」が問題になってしまったら有意なデータではなくなってしまうし。


結局のところ、個人のポリシーに行き着いてしまう、と。


単に「感じないから」なんて書いたので誤解されている部分もあるみたいです。
占星術がなぜ当たるか。これはすごく難しい。物理的な説明は納得できない。心理占星学の説明は、共感を覚えます。かといって、自分が心理に進んでいくかというと、そういう気にもならないわけで。あれはすごくおもしろいと思うものの、自分で使えるようになろうと思わないということです。

占星術は非常に視覚的なことを重視しています。そりゃ、アタリマエでしょう。昔は目で見るだけだったんだから。星の意味にしても、星座にしても、もともとは、人が目で見るもの。古典での under the sun beams なんかもモロにそうだし、以前に書いた通り、combust も視覚から来ていると思います。
だとしたら「見える星」で占えばいいじゃんか、ということです。見える星こそが、人の心に、いや、目に、影響を与えている。天王星って、実は、見えるらしいです。らしいというのは、明るいときで6等級くらいになるから、それなら古代の暗い夜空なら見えていたはず。でも、動きが遅いことや、見えないくらいの明るさになることがあるから、惑星として認識されなかった(星図がなかったからわからなかった)のでしょう。

まぁ、自分なりに筋が通ればいいかな、と。


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Akiary v.0.42