月記 バックナンバー


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マイナス5度ルール?  2004/8/3 Tue.
とあることから、アルデバランとアンタレスについて調べていた。
うちにある日本語の本をひっくりかえして…

そうしたら、関係ないことも含めて、ちと、いろいろ見つかる。
カルディアン・オーダーについて書かれた本はない、という件。これ、カルディアン・オーダーという名前でなかったり、占星術的な見解でなければ、触れた本はある。まぁ、そういう意味で言うと、本家?の占星術の本で出てこないっても…

そういえば、マイナス5度ルール。
「西洋占星術 科学と魔術のあいだ」 中山 茂 著
講談社現代新書

これの66ページの寿命の計算に触れたところで、
『プトレマイオスは東の地平線の上5°から下25°までを第一位とし、30°ごとに十二の位をつくる』
との記述がある。図も入っている。これは例のマイナス5度ルールを差したものだろう。30度ずつということはイコールハウス? もちろん、中山茂氏の本を読んでいると見識の深さや、占星術に対する知識に疑問を挟むのもどうかと思うくらい納得できるが、ここではイコールハウスとかホールサインという言葉は出てきていないので、その点が何をどう差しているのかは不明。
でも、日本語でマイナス5度ルールについて(そういう意図でないにせよ)書かれたものがあることは再発見。


あと、もうひとつ

徳川時代の初期、キリシタン禁制の厳しかったころに、ころびバテレンの沢野忠庵がルネサンス・ヨーロッパの天文宇宙観を紹介した『乾坤弁説』には、西洋のホロスコープ占星術のことが少し出ている。これに注釈をつけた向井玄升は、これが宿曜道と歴史的に関係があるものとは思いもおよばなかった。

これは『占星術 その科学史上の位置』 中山 茂 著  朝日文庫 からの引用。さてさて、日本初の西洋占星術の紹介は、山田耕筰じゃなくて、こちら?
とはいえ、その時代の本、よもや個人では手に入らないかと…



今さら占星術概論  2004/8/8 Sun.
それにしても、今さらのように『占星術概論』を買いそびれましたと言い出す人が多いのには驚く。ひとりやふたりじゃないから、びっくりだ。

どういう印刷方法にするか検討している、申込数によって変えるとKuni.さんが書き、長きに渡って申し込みを受け付けていたのに。締め切りになる前に、何回申し込みページを見たんだろう? 何回インターネットに接続しているパソコンの前に座ったんだろう?
何万円もするとか、「すぐにお金を作れない」ほど高額でもないのに、手続きに何時間もかかるわけでもないのに、「次でイイや」と思った理由は?

占星術をやっていなくてもわかることだし、やっていればなおさら、「チャンスというのはすぐに掴まなければ状況が変わってしまう」ことくらいわかるはず。
自分で欲しい、必要だ、貴重だなんて思っていたなら、なおのこと、「なぜ、すぐに買わなかったのか」をかみしめればいいと思う。そういった美辞麗句と共に「余っているのがあるなら売ってください」と言われても、そんな素晴らしいものが目の前にあったのに、手を伸ばさなかったんだから、そのことに関しては、「あなたは既にチャンスを逃した、自業自得」と言える。情熱なんてないじゃん。見逃すんだから。

占星術を単なる「興味の対象」として勉強するだけなら、それでもいいと思う。まがりなりにも「占ってみよう」と思ったり、占った結果を役立てようなんて思うならば、「自分自身が『出来るときに、出来ることをする』ということ」を体言できなくて、どうして人様にアドバイスできよう。
「再版してください」なんて発言も、重版にはどれくらいの費用がかかって、何冊単位でなければできなくて、どれがどれくらいリスクを伴うものか、わかってないから言えることだ。

超人気アーティストのチケットや、人気スポーツの試合のチケットだったら、すぐなくなってしまうと思うから、必死に取ろうとするだろうに。スーパーで安売りしているものがあったら、すぐにカゴにいれないんだろうか? 現品限りと出ていても、あと10個あるからとぐるり回ってきて、戻ってきたときになかったら「裏から出してこい」とか「もう一度安売りをやれ」と言うんだろうか?


占星術が「時を見る」とか「チャンスを見付ける」ものならば、まず、自分が実践しなきゃいかんと思う。

なにも『占星術概論』だけじゃない。今の世の中、本が新しく出版されることは激減し、再版や重版なんて極めて一部の本にしかありえない。巡り会った時がチャンス。


根拠レスな暴論  2004/8/13 Fri.
ちょっと内情をバラしてしまうと…

恒星の表は、現在、すぎむらさんがかなり必死に作っているらしい。

とても真面目で、真摯な人だから、明らかに「考えすぎ」だと思う。馬鹿正直ではない。だってバカじゃないから。(笑) 実は、先日、ちょっと講座内容についていろいろ話をした。たった2時間程度話すだけのために、もう、何十時間どころじゃなくて、百時間を超えるくらいの「予習」をしてるっぽい。この人の場合、「まったく知らないことを、これから勉強して話そう」ってんじゃないのに…。

厚顔無恥で無知な穂渡桂樹のツメの垢でも煎じて飲ませてあげたいくらいだ。でも、ツメに垢ないし、仮にあったとしても体調壊されると困るので、そうもいかない。



厚顔無恥ついでに、かなり暴論を書きたいと思う。
これはまったく根拠レスな話で、「勝手なことを言っている」と思ってもらっていい。いつか自分で、その証拠を見付けられたら『おもしろい』と思っていること。

トリプリシティが昼と夜違う、タームが不特定な大きさ、フェイスが10度ずつ…。なんでこんなものがあるんだろう? 観測の結果で使われている惑星や、明らかな横道と白道の交点という惑星の動きに基づくノードなどではなくて、「計算によって求められる、パート」ってなんだろう?

これはとにかく不思議だ。

そして、もし、自分が「占いを作る」立場だったらどうだろうかと考えてみた。

占い成立当時は個人を見る占いよりは、王様や貴族を見るものだったり、国の情勢や敵国との戦闘を見るものだったんだろう。まぁ、そうだとする。でも、人は「どうなんだ?」とそう長い時間をおかずに「また占え」と言い出す。これは普通の人間なら、その心理は理解できると思う。
月はいい。動きが早いから。でも、他の星は動きが遅い。木星や土星に至っては、サイン通過を待っていたら1年以上かかってしまうわけだ。

そうしたら、そこで考えるだろう。「サインを分割する」ことを。

どうしても、占いには『多様性』が必要になる。同じ事を何度も答えていたのでは、占いとして成立しない。多様性を出すのにはどうしたらいいか、わかりやすいもので変えられるとしたら、何があるだろう? そう、昼と夜だ。これほど明確に1日の中で差のあることはない。

星が同じサインの中にいてもそれぞれの差を出す、多様性を見付けるとしたら、分割するしかない。規則的に分割してみましたというのは、フェースとかドデカテーモリオンの任せ、それだけじゃあまりにも規則的すぎて「面白み」もない。じゃぁ、ランダムに分割したものも入れてみよう。

そして最後に、それでも15分前と今とで占い結果が変わらない場合もあるから、時間によってコロコロ動くアセンダントやMCも重要なポイントとしているんだし、さらに「変わりやすい要素」として、パートを入れていけば、「かなり多様性のある」占いができる。


証拠がないんだから、暴論とか、勝手なことを言っていると批判されても仕方がないけれど、こんな風に考えている。もちろん、だから占いが当たらないとかいい加減と言っているわけじゃなく、「神秘」とか「理論」を追求しすぎたら『おもしろくない』という気持ちから出た考えでもある。



自慢ではないけれど、相性を見るときに、シナストリィという技法があるのを知らなかった。知らなかったといってももうかなり前で、日本にはルル・ラブア女史の『占星術の見方』とか、流智明氏の『占星学』という青い本くらいしかなかった時代。
そのころは、情報の少なさでは不幸だった。いやいや、不幸なんて言っちゃいけない。あの天才・鏡リュウジ氏は、その当時から「海外」に目を向けていた。目を向けられる環境があったことは運かもしれないけれど、目を向けて、海外で本を買って、海外まで習いに行ったという話は、その熱意と努力を尊敬するしかない。今の彼のポジションも、至極当然のものだろう。親とか環境とか語学の才能とか、もちろん、妬みたくなる。もし、仮に、自分にソレがあったとしたら、同じ情熱を持って同じ行動ができたかと言われると、怠け者の自分にはできなかったと認めるしかない。
そんな環境も才能もない凡人は、自分で考えるしかなかった。ないものは、自分でなんとかするしかないとばかりに。当然、占いをやっているなんて言えば、占ってくれといってくる友達とか後輩はいる。そのうち、相性を見てくれと言われる。そうしたら、相性を見る技法を「自分で考え出そう」とするわけだ。
そう、まさに、単純に、ホロスコープを重ねてみた。ふたつのホロスコープの間で、なにか目立ったものを見付けようとする。よくわからないけどやってみる。そのうちに、なんとなく、「自分流」が出来てしまうわけだ。

例えば、当時からの印象として、シナストリィで重ねたとき、自分の水星に対して相手の土星がハードアスペクトやコンジャンクションを作っているとすると、相手に対して強いコンプレックスを作ることがほとんどだというものがある。ベタかもしれないけれど、そんなことを感じていた。
そうやって、なんとなく、自分流が出来てしまう。

あとになって、その方法がシナストリィという「先人も使っていたものだ」ということがわかった。「俺が最初だと思ったのに!」と感じるよりは、「あたりまえだよなぁ、誰だって考えつきそうだから」と思ったもんだ。
ある意味、自分の思考が「先人達と能力に差はあっても考え方に大差ないのかもしれない、先人達も普通の考え方だったんだろう」と感じた。

そしてコンポジットという手法があることも知った。でも、これは、すごく謎だった。納得がいかなかった。二人の相性を見る。ふたりの「間を取る」と言う。
単純に恋愛を考えたら、恋愛って、ふたりの「中間点」でしてるのだろうか? どう見ても、片方が振り回している恋愛だってある。なんか、そのやり方に納得がいかなかった。
けれど、「そういう考え方をする人がいても納得できる」とは思った。


あぁ、なんか、考え過ぎなくてもいいのかなぁ? なんて思ったりして。


もう、ここまでくると、勢いで言いたいことを言ってしまえ状態だ。(苦笑)
本当にこんな説を打ち出して、主張して、相手を論破しようと思っているなんて受け取られたら困る。これは、勝手なことを言っているだけだから、放って置いてくれ、お願いだ。(笑)

テトラビブロスが占星術の上でもよく引き合いに出される権威ある書だ。それに異論はない。うちにも敵国語のテトラビブロスはあるが、「読んだのか?」と言われると返す言葉がないので許してくれ。

あの当時の占星術って、どんなだったんだろう? 占いは王を見るもの、国を見るもの、戦いを見るもの、だったのだろうか?

もし、そうだとしたら…。

ヒトラーが占星術でタイミングを見て攻め込むと予想し、相手も占星術師にそのタイミングを見付けさせて、ヒトラーの軍勢を破ったという話があった。(もし、それが本当で、正しい占星術の判断だとするなら、「勝てるはずだったヒトラーの選んだタイミング」は、相手にしても「ヒトラーが勝てるはずだと思えるタイミング」のはずで、占星術そのものの矛盾にならないか??)

占星術が王侯貴族を扱う「トップシークレット」で、戦争のための「国家機密」であったとするなら、それを本にして「他の人の目に触れる可能性がある状態」を許すのだろうか? それともたまたま、残ってしまったんだろうか? これはプトレマイオスが単なるライターであったとしても、話は大差ない。それに対しておとがめがなかったわけだから。

某国の軍事科学者が書いた『サルでもわかる核兵器の作り方』とか、『マンガで学ぶ、誰にも作れる細菌兵器』なんて本がないのと同じだろう。いや、それこそ、それだけで対戦車砲くらいの価値があったんだろうか? 当時の占星術に。



こんなむちゃくちゃなことを思いつつ、いいつつも、占星術は楽しい。当たると思う。
誰だって、天動説が否定された現代で、ケプラーの法則だけじゃやってられないことはわかっているはず。相対性理論の中身を知らない人だって、「カルディアンオーダー」なんて言わる並びの順に惑星が並んでいないことくらい知っている。
占星術をやっているなら、「これから先、他の惑星ならともかく、地上を離れた宇宙空間で人が生まれる時代がきたらどうするんだ?」と、謎に思わない?
でも、占星術に対しての情熱とか、あこがれとか、楽しさは、変わらない。

それが、占星術の魅力なんだと思う。

占星術やっている人同士で「オマエ、そんなこともしらねーのかよ」とか、「オマエの言っていることは間違いなんだよ」なんて論争をしても、占星術に情熱を持たない人からしたら「オマエラの言っていることがそもそもヘンなんだよ、占星術が当たるわけないだろ、偶然だって。理論の根本が間違ってんだから」とか言われちゃうんだと思う。


占星術の世界で「オマエの言っていることは根拠レスだ」って言うなら、占星術そのものが根拠レスなのかもしれないなぁと。

でも、根拠レスだとしても、突き上げられてきた理論・思想・体系。捨てるにはもったいないほどに、おもしろい。


パソコン  2004/8/14 Sat.
気むずかしい穂渡桂樹です、こんばんは。


すぎむらさん入魂の恒星の一覧表作成が一応終了。
あとはチェックをして載せられそう。

今日、友達の所に遊びに行こうと思っていたけれど、偶然、友達が電話に出なかった。というか、話し中。2回連続で。きっとなにか大切なことがあったんだろう。そのあとは出なかったし。

で、家であれこれ考えていたら、すぎむらさんから打ち込みが終わったとメールがきたので、あとは、Excel でコリコリと罫線引いたりなにしたり。結局A4サイズに収まるように調整の嵐。実際にはフォントの関係で印刷したらうまくいかないパソコンもでてしまうんだろうけれど、極力そうならないように工夫して。

今時、占星術やるならパソコンは必須だと言うのは暴論なんだろうか?
10万程度で買える。それを「安い」とは言わないけれど、占星術を勉強しようと思って本を買ったら10万円なんてすぐでしょ? (ちなみに、自分の去年の本代は35万だった。占星術じゃないコンピュータ系のものも含んで、マンガ本は含まず。)
情熱の問題なんじゃないかと言ったら、これも言い過ぎなんだろうか? 「どの本がいいですか?」って聞く前に、まず、本屋にある本をごっそり買うくらいでないとね。ごっそりと言っても、今の時代、本屋の棚に並んでいる本は極端に少ない。そうなれば、情報はネットから得るしかない。
また、ホロスコープを描くにはコンピュータが一番だ。とにかく、手作業より圧倒的に早く、ミスがなく(バグがない限り…)、飽きることなく、値も正確。これが10万そこそこで手に入れられるわけだ。
インタネットなんて月々数千円でつなげられる。

コンピュータがわからないと言うのなら、自分で勉強するか、お金を払ってやってもらうか、友達に頼み込んでやってもらうか、どれかを取ればいい。

情熱の問題だと思うんだけれど、違うのかなぁ?

こういっては失礼かも知れないものの、パソコンを買う金銭的な余裕のない人が、占星術を続けていくのは「経済的に難しい」ような気がするけれど…。

なにかのお稽古でも、音楽をやるときでも、「道具」が必要になる、それだけのことだと思う。

「パソコンを持ってない人に合わせて考えてくれ」とか「パソコンがないからフォローしてくれ」と言い出さなきゃ、別にかまわないんだけれど。(実害ないし…。)


そういえば、世の中にコンピュータ業界の人が多いというのはあるとしても、占星術をやる人に、コンピュータ業界の人やコンピュータが得意な人が多いような気もする。


タロットだっておもしろい  2004/8/29 Sun.
例によってあと1週間となってきて、なんのかんのうで講座準備やら、それにあわせて自分の仕事も前倒ししておかないといけないしと、かなり忙しくなってきた。

せっかく買ってきた鏡リュウジ氏の『タロット魔法』も、伊泉龍一氏の『タロット大全』 も、なかなか読む時間がない。
それにしても、この『タロット大全』 は、久々にうならせる本に出会った感じだ。この厚さと内容の濃さ。パラパラめくっただけでも興味をそそられることがたくさん出てくる。数ページ読んだところで止めておかないと何時間も読んでしまいそう。(笑)


最近、「古典派じゃなかったんですか?」とか、「ポップな占い師かと思っていました」とか言われる。Astrologer.JP などを見た人は「古典派」とか「ホラリー」とか「まじめな」などと形容される占星術の『研究者』だと。穂渡桂樹のページを見た人がAstrologer.JPを見ると「星座占いやっているアヤシゲナ占いオヤジ」と。



古典とか、正統って、なんです?(笑)
あと1000年もすれば、状況は変わってるでしょうね、きっと。

Astrologer.JPだって、別に派閥とかグループ作ったつもりはなくて、それなりに気心知れて「とりあえず集まってみようか」ってだけなんで、それぞれの主張がどうというわけではないし。別にサビアンな人だろうと、心理の人だろうと、そういう人が「たまたまいないだけ」なのになぁ。


正統があるってことは、星座占いが邪道なのかもしれないけれど、別に占ってもらうほうはどっちだっていいわけじゃん。当たればさ。当たるというか、役に立てばさ。

それにタロットも、とってもおもしろい。


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Akiary v.0.42