月記 バックナンバー


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いい本はすぐになくなる  2004/11/2 Tue.
やっと時間が出来て、『サターン 土星の心理占星学』を読んでいる。

一番最後の「訳者のあとがきにかえて」のところを読んで欲しい。というか、内容を途中まで読んだら、一度、そこに目を通して欲しいと思う。きわめて興味深いというか、とても冷静に、そして広い視野で占星術を見て、かなり鋭くコメントをしている。(鏡さんの言う、公正な立場で書く、ということについて有言実行しているという点でも、この数ページはたくさんの人に読んで欲しい内容だと思う。)


昨日の夜、少し前に友達となった人たちと飲んでいた。そのうち一人は、大学で心理学を専攻していた。彼は心理学と言っても、脳の生理に近い分野をやっていたらしい。心理学といっても、あまりに幅広く、「心理学をやってました」では、それこそ、アジアに住んでいますと言うようなもので、日本か中国か韓国か、北朝鮮か台湾か東南アジアかすらわからない、いや、もっと言えば、アジア大陸のどこか、くらいの印象だと思う。
彼に、リビドーとか集合的無意識なんて言うと、プッと吹き出す。いわゆる、それらの「心理学」と対局の心理学にいた、と。(もちろん、こちらもわかっているから、ゆがんだ形になっている湯豆腐のツケダレのトックリを見て、これはゆがんだ性欲が作らせたとか冗談を言うわけだし、韓国で騒がれている口裂け女の話も集合的無意識の世界から出た神話だとか言うわけだし…。)

日本は八百万(やおよろず)の神様の国と言ってもよく、結婚式の時にいきなり洗礼をしてもらって教会で式を挙げる人もいる。かといって、家には神棚があって、仏壇もあったりする。クリスマスは鳥のもも肉(笑)を食べて、バレンタインデーにはチョコを渡す。JRAでは馬名を付けるときに審査をするが、牝馬に男の神様の名前(逆も)がついてしまうと、馬券を買う人が牡と牝を誤解するとかで、うるさいらしい。以前はギリシャ神話の神様程度だったのが、最近は誰も知らないような(地域、宗教の)神様が出てきたりすると、男か女か(当然、中性とかもあるとは思うんだけれど…)がわからず、四苦八苦すると言う。
これを「節操がない」とは思わない。受け入れる側として、なんでも受け入れられる寛容さがあるんだろう。

だけど、受け入れられる「神様」が、一神教というか、少なくとも「神様は自分だけだ」と言っている神様であれば「神様(自分)とそのファミリー」は拝んでもいいけど他はダメという神様もいるわけだ。彼らは、勝手に「受け入れられてしまった」いるけれど、本人が口をきけたら「ちょっと待て、他の奴と一緒にしないでくれ」と言いたいだろう。


まさに「占星術はいろいろある」の図式がこれかと思う。
時々「いろいろあって、選べるほうがいい」とか「いろいろやってみたい」と言う人もいれば、「文句を言うならまず勉強して、それからにしろ」と言う人もいるけれど、そもそも、それらの人たちにとっては「勉強するに値しない、時間の無駄」なのかもしれない。

その態度に対する批判ではなくて、いろいろあるからこそ、いろいろいて、受け入れられないと言う人もいるんだよ、と。
その「公平な立場」というのも、公平だからいいというわけじゃなくて、例えば、何かの「道」を進むのであれば、その精神が重視されるべきで、「みんななかよく」も「どっちにも加わらないから勝手にやってね」も無理で、自分は正義で相手は敵とするしかない場合だってある。

ぜひ読んで欲しい本であるけれど、「まぁ、読め!」と言うのではなくて、「あなたの宗旨に反しないなら」というところだ。Astrologer.JP のメンバは古典派に限っているわけでもないし、かといって、八百万の占星術を受け入れることを約束して集まっているわけでもない。それぞれの人が、受け入れるか受け入れないかの意見を持っていると思う。
その中で、自分は、この本は勧めたいとも思う。



今の自分の立場からすると、『サターン 土星の心理占星学』は読んでいてきわめておもしろい。鏡さんはクックブック形式の本であもるとそのあとがきで書いている。確かにそうであるし、○○座に土星がいるとき、なんてそれぞれの解説部分ですら、端的に「こうです」という決めつけの一文ではなくて、その範囲を超えた解説が書いてある。(そして、それは、「超えすぎていない」と思える。)

例えば、本当に、というか、純粋に、この本の内容の通り自身のホロスコープを見直してみたら、どう感じるだろう? 先入観なしに考えたら、納得できるんじゃないだろうか? 占いというものは、なんであれ「それなりに当たる」ものでなければ残りはしないから。(それなりに当たっていると思えるものでなければ残りはしないから。)

その中で、あぁ、おもしろいなと思って読める本でもあるし、(自分は素直になる気はないので素直に受け入れるつもりもないけれど)素直な人にとっては自分を見つめ直して反省したり、自分をよりよく知っていくための指標になるかもしれない。



某掲示板でKuni.さんの『占星術概論』が話題になった。
私の所にも、今さらのように「買おうと思ったのに、いつの間にか売り切れていたから1冊なんとかしてくれないか」と言ってくる人がいる。何ヶ月も放置しておいて、今さらナントカしてくれもねぇだろと思いつつ、「見送る程度の情熱なんでしょ」という内容を書いたら逆ギレされたことも。(笑) そんな欲しいと言うなら、なんで、売ってる時に申し込んでくれなかったんだよ…
ものを書くとか、作る側に立ってみると、苦労とかリスクとか、色々なものが見える。Kuni.さんが決めることとはいえ、重版も簡単ではないのはよくわかる。確実に売れる(黒字になる程度は裁ける)と思えなければ、慈善事業じゃないんだから印刷なんてできない。印刷だって10冊単位にするようなもんじゃなく、やるなら100冊とか200冊という単位になる。日本の占星術人口を考えた中で、現在の初版を全て売り切ったのは、やはりKuni.さんのすごさだと思いつつも、ここからさらにそれだけの数を売るのは容易じゃない。本はナマモノじゃないとは言え、保管場所も考えなければ湿気でふにゃふにゃになるし、焼けてしまったりもする。「自分が手に入れたい」という理由で、気軽に「重版してください」なんて言ってしまう人もいるので、かなりガックリくる。

『占星術概論』に限らず、3000円とか5000円とか、自分が占星術を勉強したいとか、占星術を楽しみたいと本気で思っているなら、そんなに高いものではないと思う。自分の情熱のためであれば。(ほとんどの人がもっと多くの無駄遣いをしているのでは?)



鏡さんの『サターン 土星の心理占星学』も、可能性はある。いい本で売れた。出版社だって、初版が全部売れれば黒字でおっけーと言う部数と価格設定の発行なんじゃないだろうか? (憶測) そうだとすれば、全部売れた時点で出版社としては万歳。新たなリスクを背負ってまで重版することを望むのは、この時代には厳しいと思う。もちろん、「もったいない!」と憤る気持ちになると同時に、企業である出版社の立場を考えれば責められるものでもない。彼らだって、生きて行かなきゃいけないんだ。再販制度という、まぁ、いろいろなことを抱えた制度が日本にはある。それの功罪を別にするとしても。出版は文化で、それを守り続けなければならない、という姿勢は多くの出版社にあると思う。それでも背に腹をかえることはできない。もちろん、Astrologer.JP のサイトにしても、「タダで情報を提供している」わけで、そういった出版という形で文化を残していこうとする人たちの邪魔をしていることも、事実ではある。

話が中途半端で申し訳ないけれど、鏡さんの本のことで言えば、amazon では『タロット―こころの図像学』がマーケットプレイスでしか手に入らなくなっている。これは驚いた。なにか特殊な事情なんだろうか? この本はかなりお勧めなので、もし、タロットに興味があって、未入手の人が書店で見付けたら、ぜひ、押さえておいたほうがいいと思う。


ベツレヘムの星  2004/11/5 Fri.
金星と木星の会合があると少しばかり話題になっている。

クリスマスツリーの一番上の星、あれは「ベツレヘムの星」だそうだ。キリスト(イエス)が産まれた、あれ? 産まれる、だったか、そのお告げで星に導かれ東方の三賢者が祝福に訪れる、という話。その三賢者を導いたと言われる星が、「ベツレヘムの星」だと。

これは星占い(占星術)ではないらしい。キリスト教が占いを良しとしない、かつてはイエスのホロスコープを描いた占い師が極刑に遭ったなんてことも含めて、「神様の心を読み取ろうとするような行為を禁じている(大学時代の英語・比較文学の先生だった宣教師談)」ということらしい。

とはいえ、このベツレヘムの星ってなんだったのさという疑問は尽きない。

多くの人は、いや、これをグレートコンジャンクション(木星と土星の合、約20年周期、同じサインで起こるのは60年周期)だと言う人は、けっこう占星術キャリアが長い人なんじゃないだろうか。グレートコンジャンクションの年にキリストが生まれたという話を、自分も信じていた。海外の情報なんて知らない15年くらいは前のことだろうから、誰かがどこか(本など)に書いていたんだと思う。そのソースはわからない。(自分も何を見たのか、誰から聞いたのかは忘れている。)
でも、キリストはゴルゴダの丘で処刑されたのが30歳か31歳と言われ、布教活動はせいぜい1年程度だったらしい。そして産まれた年には、例の、王様が「赤ん坊を皆殺しにしろ」指令が出た年というのを考えると、このグレートコンジャンクションの年では3〜4年のタイムラグが出てしまうらしい。つまり、現在ではグレートコンジャンクションとキリスト生誕が同じ年という説は否定的な意見がある。

一番ありがちな、彗星説も、それだけのことがありながら彗星に関する記述をしたものが出てこないことや、周期のわかっている彗星がそのころに回帰したという推測も成り立たないので否定されている。
彗星が夜空(昼でも同じ)で非常にインパクトがあるもののため、それなりに目立つ彗星があれば、誰かがどこかに書き記す、ということ。それがないのだから、この三賢者だけが「彗星を見て来た」というのも…。(それ以前に、彗星なんて不吉の象徴になっているのにね…。)
そしてもうひとつ、超新星爆発。これも強烈に光ればかなりインパクトがある。しかし、こちらのほうは、超新星爆発後はX線星となって肉眼では見えないけれど現在の技術では十分に観測が出来、「かつて、超新星爆発を起こした」ことはあまりに簡単に予測でき、それがいつ頃というのもよくわかると言う。少なくとも、この時代にはないそうな。
(超新星爆発のあとの星を見付けるのは、夜空から小惑星などを見付けるような「偶然」に頼った作業ではなくて、全天の超新星爆発のあとは全てわかっていると言われる感じに、「みつけやすい」ものらしい。)

原恵氏がNewtonだったかのムック本に書かれていた話がこれだったはず。(近日中に探すつもり。)

そこで、原氏は、(魚座で起こった)金星と木星の会合を取り上げている。原氏は天文学の世界の人であり、占星術とは関わりがない(興味がない)ようだ。この月記で出てくる占星術部分は原氏の書いていることではない。単なる(占星術で言う)コンジャンクションは、実際には赤緯が大きく違えば、星同士は離れている。星同士が「物理的に」離れているのはアタリマエ(笑)のことで、そうではなくて、「見た目上」も離れている、ということだ。黄経が同じだからコンジャンクションと言っているだけで…。その意味でも、この紀元前3年? 4年(これもあとで調べる)に起こった金星と木星の合は見た目の距離も非常に近かったらしい。さらには、逆行も含め、都合3回も起こった。
これをキリストが魚座で象徴されることなども考え会わせれば、ベツレヘムの星と言えるのではないか、と。
占星術的に見たって、木星はハウスだし、金星はエグザルだよなぁ。

今年の天秤座での会合は、さて、どうなんでしょう?(笑)
いやいや、だから、ことあるごとに占星術的な意味を求めるのもどうかと。このところ結婚する知人、出産する(奥さんが出産する)知人が多いので、ちょっと嬉しい話として教えてあげる程度でいいと思っている。


現在4:57  2004/11/7 Sun.
ふと、外をみたら、金星と木星が…。
ホントに1度って伸ばした腕の先の指1本分なんだと実感。

金星のほうが煌々と輝き大きく見える。黄色っぽい。木星はオレンジっぽい。
(大気の状態によるのかもしれない。)

占星術の世界かぁ。なんか、こうやってのんびり空を見ているだけならそれが一番いいのかもしれない。星空は、誰が見ても、同じ場所に立って見れば、空の同じ所に同じ星がある。色だって変わらない。でも、星を見て「考えること」は人それぞれ違う。淋しく見える人もいれば、光り輝く元気の源に見える人もいるだろうし。そして、それをホロスコープにすると、同じ星空からそれぞれ違うことを言い出す。(笑)

この世界で、自分はスゴイと思ったことなど一度もなく、「ウマイことやってるなー」と思っている。占星術の世界に限らずかもしれないけれど、とにかく、この世界は狭くて、人間関係が面倒くさい。こう言うと、一匹狼を気取っていると言われるのも心外。普通に、相手が相手ならしっぽも振る。嫌いなヤツにまで振らないだけで。自分が他人の面倒を見る気がないから、自分が大将になる気はない。でも、誰かの子分になる気もない。自分が心動かされる人のために尽力するのは当然として。

変な人なんて、多くてあたりまえだと思う。
こんな答えがでなくて、不思議な物、そして、小学校から教わってきたことは占星術に対して好意的なことではない。それなのに占星術に興味を持つんだからか、変人だ。


お勧めの本、買っておくべき本を聞かれると  2004/11/7 Sun.
このところ、絶版になったり入手困難になったりする本の話題が出ているので、個人的に穂渡桂樹が勧める本。ハッキリ言って、ほとんどの本がいつ入手不可能になるかわからないと思う。特に、「この出版社だと再版してくれそうもないなぁ」なんて思うものもあるんだけれど、そういう推測ではなくて、まぁ、これは押さえておけ、ということで。


(以下、それぞれの本の名前の所はamazonへのリンクにしてある。)


Astrologer.JP のブックレビューでも書いているけれど、特に「これは押さえておけ」というものを列挙。これらはまだ手に入るであろう本で、もう絶版で古本屋を当たらなければならない本は含めない。その他にも、ウィリアム・リリーについて書いてあるよ、という本はあるけれど、わずか数ページのために何千円となるとさすがに勧められない。


まずは、『古典』と言えば、という2冊。

占星綺想

言わずと知れた、鏡さんの本。もっとも読みやすい本だと思う。この本、すぐになくなってしまうかと思ったら、まだなくなっていない。もしかすると重版されているのかもしれない。こうすれば古典的な解釈でホロスコープが読めるという入門書ではなくて、古典と言われる占星術ではこんなことを着目していたとか、当時の占星術についてをポイントで語っている。古典と言われてもピンと来ない、まったく知らない人が、雰囲気(概要ではない)を掴むのにはこれほど適した本はないと思う。
日本語で読める、なおかつ、日本人が書いた古典に関する最初の本がこれ。以前、「心理占星術の人が流行に乗って古典も書いてみたのか?」というような質問をされたことがある。それは違う。(と思う。) あるきっかけがあって書いたという話は聞いたことがある。でも、それは、ちょっと手を伸ばしてみましたとか、古典の本を書いたら売れると思いました、というようなものではなかった。鏡さんの本の場合、売れ筋の本とか、ヒットを狙った本と、占星術の裾野を広げたり紹介をしていくような占星術文化に貢献する本とに別れるように思う。その点ではこの本は後者だろう。(そんな本を出版社が出版させてくれる?というのはすごいことだ。)


西洋占星術の歴史

こっちはちと難しい。歴史と言っても、最近の人々は出てこないので「現代までの歴史」ではない点がポイント。これもその古典的な占星術の時代の変遷が書かれているので、これでホロスコープが読めるわけではない。でも、お勧めしたい。なんせ、他にこういう本がないのだから。


占星術または天の聖なる学ヘルメス叢書

これはすぐになくならない感じではあるけれど、『アストロノミカ』と言えば、とりあえず持っておく必要はあるだろう。携帯電話のストラップみたいなもの。



古典というと上記くらいしかなく、あとは古典というわけではない。

宇宙との交感図説 聖なる言葉叢書

この本、案外注目されていないけれど、占星術をまだ良く知らない人も、かなり知っている人も、「知識」として得るものの多い本。



そして、なんと言っても心理占星術の中でも3冊。

占星学

ユングと占星術

サターン

古典派だとか心理派だとか、自身の主義主張を持って言う人たちは、それで立派なことだと思う。そしてそれは「占星術に興味のない人からするとメクソ、ハナクソ程度の違い」かもしれない。古典だとか心理にこだわらず広く占星術を知ろうとする姿勢だって、リベラルとも言えるし、ノンポリとも言える。イタリアンが食べたければイタリアン、和食が食べたければ和食がいい気がするけれど、和風パスタとか、和風仕立てと書いた料理をイタリアンで食べたいかと言われると…

でも、こういう占星術もある、という点で本を手に入れておくことは必要なことだと思う。少なくともいつの間にか埋もれるであろう分野とは思わないからだ。

以前、話題になったセドナに関して、個人的にはかなり否定的な見解を持っていた。どうせ一時的に騒がれるだけで、少しすれば「なにそれ?」とか「そんなのもあったね」的なことになると。まぁ、その発言もけっこう叩かれたり(笑)したもんだ。「いちいち、天文学の分野で新しく見つかったもの」に過剰に反応するなよ、と。それが正しいのかどうかはまだまだわからず(そもそも正しいとか正しくないとかがあるのかもわからないけれど…)それなりに小惑星というものが占星術の分野として大きくなってはきていると思う。

心理占星術(心理占星学)という世界は、既にその流れをしっかりと作っている。「批判をするなら、まず読んでからにしろ」という考えには賛成していない。そういう意図で買っておけというつもりはなくて、純粋に、占星術を勉強しているというなら、それぞれの分野でのメジャーな本(マストな本?)くらいは本棚にあるのが普通じゃないか、ということ。また、ここで「普通」とかって言葉を使ってしまうのも良くないのかもしれないけれど。
大体、家の本棚全部を占星術関連の本で埋め尽くそうたって、そう簡単に埋まるだけの本を集められない。それは「高くて買えない」のではなくて、「そんなに本がないから」にほかならない。
ギターを習おうと思ったら、ギターを買ってピックを買うだろう。ピックだって、固いのから柔らかいのまで、とりあえず、買って使ってみるんじゃないだろうか? 習字を始めるにしても、筆は1本じゃないだろう。絵を始めるなら絵の具では「あまり使わない色」だって買うだろう。
なんだって「揃える」ことが必要なのだ。たとえ、時間が経って、自分の進む道が決まって読まなくなった本を捨ててしまう日が来るとしても。

パソコンだって占星術をやるのには必須だと思うんだけど…。パソコン持ってません、会社からAstrolorge.JPのホロスコープ作成にアクセスしてホロスコープを作ってました、だからホロスコープ作成の公開を中止しないでくださいなんてメールも来て、ちょっとびっくりした。パソコンを買うお金もないとしたら、本当に占星術、できるの? まず、必死に働いてパソコン代くらい作ってよ。ネット接続も同じ。家に電話線を引く、ADSLを引く余裕がないなら、せめて、PHSや携帯からネットに接続するとか。方法はいくらでもあるわけで。これは「情熱」だと思う。自分がわからなければ、わかっている「友達」に頼めばいいし、そういう友達がいないなら、これもお金で解決すればいい。何も、何百万もかかるものをやれと言っているのではない。せいぜい10万もあれば、安いパソコンは買える。昔はホロスコープを作るためには、石川源晃先生開発のポケットコンピュータしかなく、20年くらい前に100万とか50万だったと聞いたことがある。今のお金で10万もあれば安いデスクトップが買えて、さらにネットも出来て、神様のような小曽根氏が開発したStarGazerを使えばたいていのことはできる。

ここでの本の紹介も、「情熱」のない人のためにやっているわけではないので、「あとでいいや」と思う人は、買わないほうがいい。あとから現れる「情熱」のある人が手に入れようとしたときに入手困難にならないように、1冊、あとからくる人のためにとっておいてあげるほうがいい。


そして、辞典2冊。辞典なんだから、通しで読むものじゃないと思いつつ、通しで読んでもおもしろいだろうけど。どっちがいいとか悪いと言う気はなくて、両方持っていれば、片方にない言葉とか、両方の違いを比較できて、より使えるようになる。
正直なところ、単語が英語そのままのものと和訳された語で引かなきゃいけないものとあって、ちょっと使いづらいんだけれど、日本では占星術の辞典は数種類しかないんだから仕方ない。そのなかでも、お勧めの2冊ということで。

占星術大全

占星術百科


つれづれ  2004/11/16 Tue.
ほとぼりも冷めたし、ホロスコープ作成を期間限定で一般公開を再開しようかと考えている。

この際だから、穂渡桂樹様お誕生日特別下賜とか。


結局、いくら注意をしても、読みもしない人や、読んでも無視する人や、確信犯の人や、「どうせ大丈夫だろう」なんて態度の人がいる。また一般公開しても、そう遠くない未来に閉じることになるのは予想される範囲だし。

いや、それなら、再開する必要すらないか。

もともと、自分のために作った。自分が計算を楽にするために。そして、せっかく作ったものだから、友達の手助けにはなりたいと思った。それが満たせればもういいけれど、あるものなら「常識の範囲で使っていいよ」というつもりで一般公開をした。
宣伝のためにやっているとか、「使ってください」とお願いしている類のものじゃない。


それにしても、公開中止後は、見ず知らずの人からメールが数通。ちゃんと、丁寧な言葉で書かれていて、「あぁ、こういう人には使わせてあげたいな」と思った人もいれば、心が狭いだのなんだのと文句を言ってくる人もいた。サイトをやっている以上、見に来る人が「お客様」だと思っているっぽい。
実際には、ほんの数回しか会ったこともないような人が、友達面の文章や、さも「私はわかってます」という文章(それがかなりムカついたり…)で、妙に親しげなメールを送ってきたりもした。そして、そこにはハッキリと「私には使わせてください」と書いてあったり、暗に「使いたい」という意思表示だったり。
なんかねぇ、普通の時にもメールのやりとりがあるというのならまだしも、こういう時や、年に1度くらい何か頼んでくる(知りたいことがあるから聞く)メールしか送ってこない人が友達ってのは、どうよ? そんなのもあって、ほんの数名のAstrologer.JPのメンバ+αの人だけが使えるようにした。

登録制でもいいんだけれど、その作業をしたところで、自分にとっては手間が増えるだけ。CGIを改造しての対応もあるものの、改造にはかなりの時間がかかる。(それを言った時にも「早くやってくれ」と言ってきた人もいたっけか。)

たとえば、講座の受講者に限定公開したりする分にはそれなりにモラルを持って使ってくれたりするものの、それでも、ひとりふたり、注意書きを読まない人がいる。講座募集の時も、「ポリシーを了解いただけましたか?」と書いたのち、わかりやすく赤文字で「はいを選択して頂かない場合、申し込みが行えません。」と明記して、ボタンを作っても、「いいえ」から「はい」に変えることをせず、何度やっても申し込みできませんと言ってきた人がいた。この鈍感さって、どうよ? 
以前のホロスコープ作成公開を中止にする少し前、何度も注意書きを書いても、意図的にイタズラしたとしか思えないアクセスもいくつかあった。そしてひとつは「注意書きを読んでいたけれど、正確なチャートを作るために数分ずつずらして何度も作成をしていた」という謝罪メールが来た。確かに、謝罪してくれる気持ちまでも踏みにじる気はないけれど、謝ればいいというもんではない(許さないと言うほど重大なことでもないけれど…)し、謝りもしない人たちよりは最低限の常識は持ち合わせていると言える。だから、なんで、最初から気をつけなかったんだよ、と。自分はパソコンを持っていないから、とか、自分のパソコンでソフトがうまくうごかないと言われても、言い訳にならんと思う。こんなこともあって、「占星術やるなら、とにかくパソコンは持て。お稽古事に道具や教材は必須。占星術にはパソコン」と言っている。そして「道具を持って、その道具が他人に迷惑をかけかねないものなら、使い方をちゃんと覚えるか、教えて面倒を見てくれる人を用意しろ」とも思う。パソコンの電話サポートとか出張サポートって、1時間1万円くらい取るんだよ!

一事が万事とは言わないまでも、世間様はこんなものだということも事実。

1回100円で10回単位での申し込みとかにしたほうが、こっちも気楽なんだろうか? それでAstrologer.JPのサーバ費用をまかなうというのもアリだなぁ。(たぶん、まかなうほどの申し込みないと思う。)


それにしても、こんな話を書いたら、「蠍座らしい強烈なこだわり」だの、「管理が好き」だのと言われたのもおもしろかった。そんな分析をしていただいても、どうにもならんのですわ。(笑)

人間、生きてくれば、過去に辿ってきた道の中にはたくさんの汚点が散らばっている。なかったことにしたい過去と、寒くてイタイことがたくさん。でも、送っちゃったメールは相手のパソコンに侵入して消すわけにもいかないし(そんなことできないし)、自分もそれなりの不注意をしてもきた。

自分が完璧だとは思わない。


そのホロスコープを見るとき、1分と開けず、次のデータを打ち込む。その人は、たった1分で、そこに表示された情報の何をチェックしたと言うんだろう? 円のホロスコープ部分を見ただけなら、それこそ、自分のパソコンで、偉大なるStarGazerか、Astrolog でも使ってやりゃぁいいじゃんか。

あぁ、こんな「月記」なんぞを読んでくれている人は、「言わなくても大丈夫」な人たちばかりだろうし、そういう輩にはここで何を書いても無駄なんだろうし。

と、さんざん毒を吐いたところで、思い出した。
昔、MLで、「占い業界の浄化が必要だ」と言い出す人がけっこういたこと。浄化ってなんだろう? はっきり言えば、残っている人が正義なんだと思う。浄化と言うよりも、自然淘汰でいいじゃないか。(それ以外に、なにもないだろう。)
そのMLでは、それらしい説明と共に、占いが国家資格になるみたいなことも流れていた。全然ならないじゃんねー。(笑) っていうか、なるわけないと思っている。ならないとは思っていても、この時代、駅の喫煙マナーは急激に悪化したし、街中の治安というかモラルが急激に悪化しているように感じる。そうすると、「法律を作れ」「警察が取り締まれ」という発言を多く聞くようになった。お上が権力を持つ、とりしまる、罰を与える、そういう世の中だとどんどん住みづらくなる。常に、見張られ、統制され、人々は権力に頼るようになる。
でも、権力が権威になるから、それを求める人もいるんだろうか?

たとえば、占いが自由に出来なくなったら、それはつまらない時代になっちゃわないだろうか? 自分が大切だと思ってやっていることなら、もう少し、繊細になってもいいと思う。(世間が…。俺は繊細だ! とか言ってみる。)


あちこちで占星術講座?  2004/11/19 Fri.
ここ数年の傾向として気になっている(?)ことがある。

占星術の講座がどんどん出来ている、というか、それなりに名のある人が講座をやりますと言う告知が出ている。


批判する気はなくて、むしろ、いいことじゃないかとさえ思う。
もちろん、「あんたが講座やるのかよ」とため息をついてしまうような人が開講したり、それはいくらなんでも取りすぎだろうと思う金額が書かれていたりもする。



乱立だの、「知識や技術のない人」でも始めちゃうだのという批判は賛成しない。いいじゃん、それでも。選ぶのは受ける人なんだし。受ける人だって馬鹿じゃないから、それが役立つものか、自分の求めている情報かの区別くらいつくだろうし、付かないなら何言っても同じだし。

「手っ取り早い金儲けの手段としての講座」というものだとしても(仮定)、それもいいことだと思う。目の付け所がいいわけだ。個人鑑定をしていたら、1対1の世界だから、稼げるお金はたかが知れている。ひとりに対する鑑定料を上げない限り、限界は低い。
ましてや、電話鑑定だったり、ブースだったりと、「雇われ占い師」であれば雇い主の取り分は大きい。そりゃそうだ。雇い主だってそれなりのお金が掛かっている。たとえ、2/3を搾取するとしても、オカシイとは思わない。広告費やフロア代だって馬鹿にならないどころか、それがすさまじく大きいのだから。嫌なら、占い師だって飛び出して他にいくしかないと思う。
ライター仕事なんてそうあるものではないし、ルートのある人でもなければ仕事の依頼なんて来ないだろうし(来たとしても決してラクではない)、その点、自分で準備して自分で教える「講座」というのは、ある意味、手っ取り早くて、1度に複数の人を相手にできるから(人さえ集められれば)お金になるというのは事実だろう。もちろん、「儲かるか」とか「割に合うか」という点では、果たしてそれほどオイシイものなのかは疑問だ。


今の世の中、過当競争もある意味当然のことだし、消費者(?)側の目も鍛えられていくんだろうなと思っている。

これだけたくさんの講座ができるなら、たくさん出てみたほうがいい。
たとえば、自分が出たことのある講座では、鏡さんといけださんのものでは、まったくスタイルが違う。どちらがいいというわけではなくて、いわゆる、「講座」というか「講師」としてのスタイルが洗練された鏡さんの講座は、『話を聞きたい』という人には、最適だろう。(このところ、受講できていないから、最近は「進化」しているかもしれないけれど。)鏡さんは朝日カルチャーセンターでの講座なら、内容のことではなくて、受ける側として「お手軽」に受けられるので、これはお勧めしたい。鏡さんの知識量については、今さら何を言うまでもない。多分、多くの人を対象に話す「講座」の基本形はこれだろうし、なにより、話し方が洗練されている。自分が講師をやるとしたら、誰でも自分のスタイルは持つ。それは当然でも、こういった「きれいな」スタイルの講座をやる技術というのは、一見の価値があるだろう。
いけださんの講座も数回受けたことがある。『参加したい』というような人には最適だった。ただ、聞くだけのスタイルではない。じっと聞いているだけではつまらないという人には特にお勧めだし、事前にたくさんの準備をしていることが伝わってくる内容だった。(このところいけださんとはまったくお付き合いがないので、今どうなっているのかは知らない。)

Kuni.さんとすぎむらさんは、自分が参加すると言うよりも、場を作る側に回っているのでちょっとコメントするにしても視点が違ってしまうからここでは書きづらい。割に合うかという点を考えるなら、前回の講座ですぎむらさんの準備過程などを見聞きしている限り、まったく割には合わない。上のほうに、オイシイものかは疑問だと書いたのは、そういうことだったりする。「ちゃんとやっている人にとっては、個人鑑定よりはよくても、そんなに割のいい仕事ではない」ということ。

(他の人のことを穂渡桂樹に聞く人がいるけれど、それは直接本人に聞いて欲しいもんだ。中には「最近、その人とはお付き合いがないんですけど」という相手は少なくない。)


講師が「どれくらい知っている」のか、「ちゃんと準備してきたのか」なんて、普通に受講すればわかることだろうし、講師のスタイルとの「合う・合わない」もあるだろうし。

自分で講師をやるかと言われたら、基本的には講師じゃなくて、場を作る側に回りたいと思っているから講師になることはあまり考えていない。ただ、一度はやってみることで、気づいていないこともわかるし、講師の苦労も体感すべきだと思うしで、ある講座でちょろっと話させてもらおうかなということは考えている。
でも、自分自身のやりたいことの目標ではない。物は書きたい。でも、難しい内容じゃなくてポップなものがいい。もちろん、Kuni.さんの本で手伝わせてもらったように、編集的な立場のことはやりたい。講座はやりたい。でも、講師ではなくて、場を作る側に回りたい。こう並べると「難しいことから逃げてオイシイ所を食べようとしている」と思われそうだけれど、あんがい、それは正解かも知れない。
だから、厳しい世界に飛び込む「講座やります」と言っている人にあれこれ言う気はない。


そして再度公開に踏み切る  2004/11/20 Sat.
ホロスコープ作成を再度公開。

さんざん書いたので、「そんなまで言われて使いたくねぇよ」という人も多いかと。

確かに、そこまで言うなら公開なんてしなきゃいいのにというのもわかる。
かつて、なぜ、公開中止したのかは、11/16の日記に書いた通り。サーバは借り物(ホスティングサービス)なので、ひとりでパワーを使ってしまうのには問題がある。当然、追い出される危険もある。月々1万ちかいお金でサーバを借りているわけで、それも、astrolog が使える珍しいサーバ。ここを追い出されたら、自分が困る。お気楽にコストも掛からずにやっているわけではない。

まぁ、常識のない人が多いのは困るけれど、ちゃんと常識を持っている人もいると思うので、再度公開に踏み切った。イヤミを馬耳東風で聞き流す人もいるだろう。本当に「私はそんなことはない」と思える人、そういう行動をとっている人は、「まぁ、経緯もあることだし、こう言うのも仕方ない」と思っていただけるのではないかと。たとえば、これからなんらかの関わりを持って一緒に占星術の世界で過ごす人もいるだろうし(いて欲しいし)とは思う。何かの時に、ちゃんと「人間的な」関わりを持っていける人もいるはずだから、そういった人にはこちらから先行投資みたなつもりで。
管理の手間につかう時間があるなら、登録制にしたいくらいだった。嫌いなヤツに使わせたくはないし、占星術の世界への貢献なんてことはみじんも考えてない。

色々考えていてJavaScriptの勉強でもしてみるかと始めたらおもしろくなっちゃったから改造が出来た。単純に、自分の好奇心からCGIの改造が始まった。プログラミングはおもしろい。自分でアイデアを考えて形にしていく、実現する手法を考える。そのロジックを考えるのは楽しい。

なんらかの改造をして公開するかもしれないと言ったとき、早く対応してくれとか、期待して待っているとか…、そう言った人たちのためにやったわけではない。断じて。人に何かをやってもらうこと「だけ」を期待されてもね。手伝いますという人もいなかったし、使いたいから「なんらかの対価」を払うとかって考えの人もいなかった。

今の時代、情報はタダで入るようになった。それはもう、そういうものなのかもしれない。だけど、その影にある他人の苦労もタダだと思っているような人たちも多い。他人のものをタダで気軽に、それも自由に使えてあたりまえと思われていないことも願いたい。



血液型占い  2004/11/28 Sun.
このところ、血液型関係の話に突き当たることが多い。(これは偶然。)
テレビなどで、毎月とか毎日の「血液型占い」を見ると、なにで判断しているか謎だなぁと思ってみたり…。

偶然、amazon でズバリ当たる「血液型」+「星占い」―48パターンでココロがわかる、未来がわかる という本がヒットして、流 智明 (著)という文字に、とても懐かしい感覚を覚えた。
そう、この人は、占星学教本―ホロスコープの作り方・読み方 という本で、古い占星術ファンには極めて有名な人。なんせ、20年くらい前では、スタンダード的な1冊だった。

実は、禁書 黒魔術の秘法―悪魔学入門サラブレッド・ブックス な本もあって(持っている…)、知識の広い人なんだと思う。

占いと言っているなら、まだいいのかも知れない。

yahoo!ニュースで、以下のトピックスを見付けた。

<血液型番組>「性格決めつけ」視聴者から抗議相次ぐ
(毎日新聞) - 11月27日15時3分更新
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041127-00000054-mai-soci

そう、実は、これは思っていた。日本人の多くがA型やO型とは言え、妙にB型やAB型を「悪く言う」ようなことを感じていたから。なにもこれらの番組だけでなく、A型と言えば几帳面、のように、A型とO型を賛美する(とまで書くと言い過ぎかも知れない)内容の言葉を耳にする。
自分がA型でもO型でもない(ちなみに、リアルな知人にはたいてい、一発で血液型を当てられる)ために、少し被害妄想なのかと思っていたけれど、案外、そうでもないらしい。

血液型を決定するのは、ヒトならば23対ある染色体のたった1対の、1カ所の情報の違いに由来するというのは、中学か高校で習うことだと思う。(メンデルの法則などを習う時?)
少なくとも、血液型で伴性遺伝で性格が決定づけられるとは、到底、思えないわけだ。ましてや、血液型はABO式だけでなく、RH式があるなどたくさんの種類があることは誰もが知っているハズ。そして、このABO式は赤血球の型であり、白血球や血小板の血液型を論ずることなく性格が決定づけられるように言われる点には疑問が大きい。
仮に、ABO式の赤血球の血液型で血液の流れが変わるなどとするなら、それこそ、赤血球には「鎌形赤血球」という変形した赤血球もある。熱帯地方の人に多く、ヘモグロビンが変形しているために赤血球の形が変わってしまい、さらにヘモグロビンの大切な役割である酸素を運ぶ機能が劣り貧血を起こしやすくなる。その反面、マラリアにかからなくなる。こういったもののほうが、よっぽど、血液として特徴があるわけで、それが性格にどれほどの影響を及ぼすかのほうが、ABO式よりも差が出るようには思えないだろうか?

上記 yahoo! ニュースにあるように、決めつけ的な内容に抵抗があるという話で、トーク術のひとつとしての話題性すら否定する気はない。


もちろん、占星術でも同じようなことが起こりうる。
特定の星座について悪く言うようなことだ。実際、自分もそういう言い方をしてしまう時がある。そして、十分な偏見を生むだけの嫌な思いをさせてくれた「嫌いな星座」もある。それが仮に相性だとしても、占星術という世界で考えるなら、「太陽星座」だけで判断すべきではないだろうとも思う。
いや、その反面で、「太陽」という重要なファクターによって導かれるものなんだから、全体のある程度の領域をしめるくらい重要なことだろう、だから、太陽星座だけでの相性も「ある程度」は効力があるはずだ、とも。
このあたりの折り合いを、自分の中でどうつけていくかというのも、占星術をやっていく上での難しいことだと思っている。

ちなみに、血液型占いとか血液型性格判断については、上記のように「もっと科学的にわかっていることがある」のにそれを考慮に入れていない点で、科学的ではないと思う。そして、血液型がどうして決定づけられるのかがわかっていて、それが遺伝子の情報によると言うことがわかっている以上、性格についても遺伝子を解明して考えればいいことで、血液型がどうだということではない「遺伝情報による性格」という見地で見るべきだと思う。遺伝子全部を見て、そこから考えてよ、と。
占星術や星座占いとは、異質なわけだ。占星術や星座占いがよりどころとする、星と人との関連性は、もしかしたら、何もないのかもしれない。それが立証されてしまえば占星術や星座占いは色あせていくだろう。だけど、とりあえず、現時点で、人々は「なにかありそうだ」と(信じたい気持ちもあるんだろうし)思っている部分がある。血液型のように「科学という分野で解明されているもの」とは違う。とりあえず、人類が宇宙に出て、シャトルの中やスペースコロニーなど宇宙空間で人が誕生したり、地球以外の惑星や衛星で人が誕生したり、全ての惑星が常にひとつの星座に固まってしまう太陽系のずっと先で人が誕生したり、いや、星座の形や方向すら考えを改めなければならない銀河系の外で人が誕生する時代になれば、もっと違った占星術になるか、過去の「迷信」として葬られる時が来ると思う。自分がそれまで生きていることはないだろうけれど。

いや、そして、占星術が科学的かどうかは別として、占星術を使ったほうがいいものと、使わないほうがいいものと、使う必要のないものがあるだろう。
明日の天気だったら、占うよりはテレビやWEBにある天気予報を見るほうがいい。
体調が悪かったり、病気になったり、虫歯になったら、医者に行くほうがいい。

今はそんな時代だと思う。


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