amazon をなにげなく検索していて、鏡さんの『
タロット―こころの図像学』が、なんと、マーケットプレイスで6000円とか6800円という倍以上のプレミアが付いて出品されている…
ひぇぇ、まじですか? いや、この本自体にはそれに値する価値があるとは思うけれど、2002年5月に出て、いつの間にやら絶版。もちろん、これは待望の本だったから、並んですぐに速攻で買ったけれど、何でこんなことが起こるのか、不思議でしょうがない。(いや、もちろん、理由はわからなくもないけれど、ふたご座流星群なのに流れ星が見えない星空に向かって叫ぶということで…)
今時、本の原稿なんて電子データであるだろうから、「依頼があったら全部印刷してリングで閉じて送ります、1ページ10円、閉じ料500円で220ページの本は2720円+送料ね」ってな商売はできないのかなぁ。言うほど簡単な話ではないと思うけれど、こんないい本が「古本でしか手に入らない」のは文化の損失だと思う。本が文化と言うなら、絶対だ。ある意味で、日本で「タロットってのはアレキサンドリア図書館の壁画をコピーしたものをジプシーがヨーロッパに持ち込んだんじゃないよ」ってな話を書いた最初の本(少し前に、鏡さん自身がムック本でそのことを書いてはいるけれど)のはずで、金字塔だと思うだけに重ね重ね残念。でも、出版社サイドにもそれ相応の事情があるんだろうし、彼らだって慈善事業をやっているわけでもなければ、無限の財力があるわけでもない。それを誰が批判できるだろう。彼らだって、当然のビジネスになるとわかっていれば、何もためらわずどんどん印刷しているはずだ。
自分が全部読みきっていない本を勧めるのは原則しないものの、
ユングとタロット―元型の旅 とか、
タロット大全―歴史から図像まで といった本も、今の分で終わってしまうなんてこと…ないよねぇ、というか、ないと願いたい。
鏡さんの「占星術関連」の本では、
占星学 が、amazon で、マーケットプレイスしか買えない。まじ? これ、単に現在在庫がないだけという話じゃないの?? あれ? これ、amazon だと2つでてくる。
占星学 と、両方売り切れだけど…
ユングと占星術 はまだある…
穂渡桂樹イチ押しの
占星綺想 も、ちゃんと売っている。よかった。これは日本語で「古典」と言われる占星術に触れる唯一と言っていいような本だからなー。
宇宙との交感図説 聖なる言葉叢書 も「古典」と言われる時代の本の和訳ではあるけれど、これで古典の世界に触れましょうと言っても、それはちと厳しいと思う。(もちろん、重要な本であることに異論はない。)
他にも気になるものはあるけれど、それにしても、恐ろしい話だ。これじゃぁ、「占星術を勉強したいです」と言い出した人はどうすればいいんだろう?
ネットで検索? 確かに、調べもせずに「○○について教えてください」と言ってきたりする人よりは、検索する人のほうがいい。それとは別次元の問題として、ネット検索でも十分に耐えられるとしても、やはり、本があるのとないのじゃ全然話が違う。
いや、英語が堪能な人なら、英語の本で勉強するほうがいいというのは、悲しいけれど、昔からの「現実」だろう。でも、なんというか、せめて「日本語の本に飽きたから」とか「日本語の本では得られる知識に限界があるから」という意味で『次のステップ』であって欲しい。
だって、長い年月をかけて、日本でも占星術は一般化してきたはず。多くの人が「単に占い結果を見るだけ」じゃなくて、占いそのものや、判断されるプロセスなどに興味を持つ時代が来たはず。
これでは、講座で教えてもらいますと言う師弟制度というか、一子相伝とまではいかないにしても、誰か伝道者についていくしかなくなってしまう。自分で考えようよ、少しでも判断できる知識を持とうよ、ということが叶わなくなるとしたら、とても悲しいことだと思う。
自分自身、大の鏡ファンを自称しているし、ご本人とも少しはお話しする機会もあるのに、あえてこういうところで書くのもヘンに持ち上げているみたいで嫌だけれど…
例えば、今現在、鏡さんがポップな占いの本を生産していけば、それはそれでビジネスとしてアタリマエでありあるべき姿の「成功」を続けられると思う。でも、鏡さんは、
サターン 土星の心理占星学 のような「固い本」も、出している。もし、他の人が(鏡さんと同じ品質で和訳したとしても)出版するようなことはできなかっただろうと思う。
当然、それだけ鏡ブランドが威力を発揮しているんだと思うし、それができるような基盤を維持しつつ、それでいて、「固い本」を出していくことも忘れないのは、なかなかマネできるモノではないと思う。
「まだ手に入る時代」にいるというのは、それだけで幸せなことなのかもしれない。
Kuni.さんの『占星術概論』についてはさすがにブチ切れたから(笑)問い合わせもなくなったけれど、あれもKuni.さん自身は、当面、重版する気持ちはないと聞いた。それでいいとも思う。1ヶ月以上の期間、募集していたんだから、そこで買おうとしなかった人は情熱がない。(これは絶対、断言する。)
今でも希望する人はいるし、その売っている当時を知らなかったという人には気の毒だけれど、数冊とか、数十冊のために重版というのは「まともな人間の考えることではない」とも思う。(いや、まともな人間じゃなきゃいけないとは言わない。)
いつか、重版の日はくるかもしれないから、それを待ってもらうしかない。
重版してくださいという言葉を、いう人は、多分、褒め言葉の意味を含めて切望で言うのかもしれないけれど、世の中、そう簡単じゃないわけで。
この本は、自分がやったことは微々たるものだけれど、やっぱり、すごく嬉しい。そういうものを作っていく場に立ち会えたこと。確かに、自分もヒマではないから、毎日少しずつ読んで、それにコメントをつけて、時にはこうしたらどうですかというのを書いて、でっかいWord文書で送る。翌日にはKuni.さんから修正したものや、Kuni.さんが考えていることや、その他諸々が書き込まれたものが返ってくる。それをチェックしつつ、新しいチェックを入れて送り返す。この部分、全体的にわかりにくいから、個別対応じゃなくて全体的に考えてみましょう。索引入れましょう、作りました、送ります。「私はこうは思わないけれど、ここはKuni.さんがこう考えているんだろうと想像して直してみました」とか、「この批判は正しくない」とか「こういう批判のしかたをすると共感を呼ばないから、ここはこれでどうですか?」とか。当然、Kuni.さんの考えや反論も返ってくる。多分、「膨大」と言ってもいい時間が費やされたと思う。そして、もっともっと占星術に理解のある人や、チェック能力のある人がやったのなら、さらにいいモノが出来たとは思うけれど、自分としては、Kuni.さんのものなのにできあがった時はやっぱり嬉しかった。
そういうプロセスを経験してみると、やはり、「作る」ことの難しさと、「作る」ことには想像以上の情熱が必要だと言うことがわかる。これは占星術の講座をやる人にとっても同じ。Kuni.さんも、すぎむらさんも、たった1時間半のために(「たった」と言っていいくらいに)それまでに使っている時間は何十倍なんてものではない。
いや、それを、「1日講座やる程度でそんな時間をかけるほうが効率が悪いし、背伸びしているだけで、大学の先生なんて授業の前に1〜2時間準備する程度だよ」という人もいるだろう。でも、その1〜2時間で済むようになるまでに、その人が、どれほどの時間やお金をかけたのか…
きっと、たくさんの本が、そういう大変なプロセスを通じて、やっと生み出されたものだと思う。本なんて、すべて、難産だろう。
「手に入る時に手に入れる」ということをして欲しいと思う。
そして、これは、「願望」ではあるけれど、本は(最近、新たな動きがあるものの)古本で買うと著者も出版社も、なんら潤わない。(らしい。) 絶版の本は仕方ないけれど、まだ新品が売っているのなら、著者や出版社への「敬意」として、新品を手に入れて欲しいと思う。それが積み重なることで、著者や出版社は新しい本を生み出せるのだから。
いや、もちろん、もったいない。せっかくもっている財産である古い本を売りたいとか、新しく森林を切り倒さなくていいように今ある本を読んで欲しいとか、それもわからなくはない。
でも、それを承知した上で、いい本を作るためなら、森林にも犠牲になって欲しいと思う。そうだよなぁ、地球も森林も、協力してくれるからこそ、いい本が作れるんだよなぁ、と。