月記 バックナンバー


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今の自分は…  2005/9/4 Sun.
こっちの日記はながらく放置してるなぁ。

色々忙しいのは事実で、そして、最近はmixiに入って見たものの、むしろガックリした。
ある意味、随分昔に思える頃の、混沌とした世界がそこにある。偉そうに「俺は通り過ぎた場所」と言うつもりではない。すごく情報が少なくて、とりあえず、接触が欲しくて、色々とがんばっていた時代。ある意味、間違えた情報もいっぱいあるし、好き勝手言う人も多い世界。いや、今だって、何が間違っているかなんて判断しきれないんだけれど。
自分が「それほど大きくない」と思っていた時代って、あった。それが知れば知るほど、「あまりに小さい」と気づいて全てが恥ずかしくなる。

あの場に居る人の多くって、その過程の手前なのか、それを通り越しているのか、よくわからない。

5年か、いや、もっと前かな。
占いをやっている人が10人いたら、「知識や技術がすごい」人が1人、「実際に占いをやらせたら現場で力を発揮する」人が1人、普通に人畜無害な人が3人。なにやってるか怪しくて、ちょっと付き合いたくないと思う人が3人。自分は誰かの生まれ変わりだと言い出すような言っちゃってる人が1人。自分は世界一だ、自分はスゴイというドリーマーな自信家が1人。

占いの世界なんて、きっと答えがない。
占い師ふたりが集まれば喧嘩が始まる。お互い、主義主張はあって、それは「確かめようのないこと」だから。例えば、競馬のレースで勝つ馬を当てるとかならまだしも、人生だの性格だの、そういうものを当たったか外れたかなんて、極めてグレーだ。
「アナタは明日、事故に遭います」って言って、家を出なければ、事故は避けられるかもしれない。そうしたら、当たったことになるのだろうか?

例えば、古典とモダンどっちが「有効か」なんて、調べようもないし、調べる努力をしたところで、占い師の技量の問題も出てくる。(笑) 勝負に負けたら「あいつは、正しく○○の技術を身につけていない」とか「××の解釈をここで間違えたから、そういう答えになって負けた」って言えちゃうわけで。(笑)

だけど、自分が思っている主張があるなら、簡単には曲げられないというか…。とある人のように「俺が世界一、俺の理論が正しい」に続けて「俺の理論にひれ伏せ」みたいな言動をされたら「ちょっと待ってくれ、あんたとは解釈が違う。あんたが自分の解釈を自分で使う分にはそれでいいけど、俺にも同じ解釈をしろといわれたら遠慮する」と感じることもある。この人とは、幸いにしてお付き合いがなくなった。

もっとも、こんな「占星術内部の論争」なんて、占い否定派からすれば、目くそ、ハナクソの争いなんだろう。



でも、ここ1〜2年程度の間に、占星術とか占いの世界の状況は激変しているんだなと言うことはわかる。情報は増えた。講座も増えた。それが悪いのではなくて、時代と共に、変わっていく一環として。

自分の中で、占星術の魅力は変わっていない。占星術を取り巻く人、自分の周囲に居る人は、増減で言うと、残念ながら減のほうが多い。色々なことに忙しくなって、占星術から距離が出来てしまった人もいる。占星術の世界に魅力を感じなくなったと言った人もいた。

mixiでは、より、その現実を見せつけられたと同時に、いくつかの失望があった。


残念なことだけれど、占いの世界にいて、「仲間」になりたいと思う人に、ほとんど出会わなくなった。
時代についていけていない、自分が居る。


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Akiary v.0.42